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母と子の夢

 どんぐりの木が大きく育った。 母が、どんぐりの苗木を「切らんといて」と大切に見守った。 帰省する度に、どんぐりの木が大きく育っていった。 嬉しくて帰省する度に写真に残した。 どんぐりの木が育つ草原は、草花も四季折々に開花し、私の情緒を楽しませてくれた。 草が元気よく育てば、ここでペーターやハイジの世界の様に、山羊が飼えたらいいなと思った。 余命宣告された母が、自宅に帰る事ができて、縁側から三毛猫のさくらと草原を眺め、どんぐりの木の成長を喜んでいる光景が忘れられない。 介護帰省で、東京から一緒にフライトした愛猫の大我とさくらは、国東の母の側で過ごしている。 介護で家族が離れて生活しているけれど、介護を視野に入れて、故郷で家族と新しい生活が出来る様に、思案したり構想をした。 草原にやぎがいるって、現実離れしているかもしれないけど、日常にそんな光景があってもおかしくはないし、それをプランニングにすればいい。 思い描くアトリエは、将来の自分像である。 高台に建てられたマイホームからは、海の見える草原があって、広い草原に馬や山羊が優雅に過ごしている。 思い描いた画像に向かって歩けば、夢は叶うのだろうか・・・ 執筆者:坂田琴絵

ローズが香るいざない

今夜あなたは どうしていますか? 家族と離れ離れになったご婦人が、「ここはどこ?怖い、独りは淋しい。」と言ったの。 そんな気持ちの時って、夜になったからって、安眠できるわけなくて・・・ これまでのパーソナル空間から、慣れない空間で見知らぬ人達に囲まれているんだもの。 「今夜は私が側にいますから、安心しておやすみください。」 「このお写真はご主人様ですか?ダーリンが側にいますから安心ですね。一緒に眠りましょう。」 「ご主人様が『ワイフと一緒に過ごせて嬉しい』って言ってますよ。」 微笑「あらっ、そう?」 お部屋に飾られたディスプレイも、ハーブが香る空間も、おもてなしの技なのです。 私は、そんな時間を過ごしています。 選んだ道が、キリストが十字架に磔刑(はりつけ)になるまでに歩いた道の様に、辛い道であったとしても、救い主が、仲間が、お客様が、私の選んだ道をナビゲーションしてくれているのです。 感謝の気持ちを繰り返し、疲れた身体を労わる時間は、心の洗浄をしています。 ワイングラスに赤ワインを注ぎ、私の身体を満たす葡萄酒が、情緒を育て整った感情の抑揚としてくれるのです。 皮付きのスライスされたりんごを噛んでいると、薔薇の香りがするのですよ。 おやすみなさい。 大切な人へ 執筆者:坂田琴絵

いつも側にいます

 おぼつかない足取りで歩きながら 「しんどい、しんどい。」と。 手を繋いで、一緒に歩きましょう。 ベットに横たわって 「身体全体が、しんどい。」と。 ゆっくり休んでくださいね。 眉間にシワをよせて 「体が痒い。」と。 どの辺りが痒いですか、スキンケアをします。 手を差し伸べて 「指が痺れてる。」と。 手を温めてマッサージしたら楽になりますか? 「ちょっとマシかな。」と。 先生、こんな時はどうやったら治りますか? 「わからん、、、。」と。 先生ったら、冗談がお好きなんですね。 執筆者:坂田琴絵

兵士と過ごした時間…

「お願いだから帰らせて、私は騙されたの。」 本当はここで生活したくないんです。 あの子が私の本当の気持ちから目をそらしています。 もう私にはどうすることもできません。 病気扱いにされて、薬漬けになりました。 あの子は「母が少しでも穏やかに生活してくれたらいい。」と言って、動けないように縛りつけたり、薬を飲ませて私から自由を奪いました。 本当に、ここから逃げ出したいのです。 家族で団欒を築いたマイホームに帰りたいのです。 その事を言っているのに、みんな私の気持ちを阻止するのです。 「私が間違えているの?なんでそんな意地悪言うの?」 素直な気持ちを伝えているだけなのに、ご機嫌取りの使いの者が、あれやこれやと宥めます。 落ち着かないからと、鎮静剤を飲まされます。 望んでいない薬を飲まされたら、毒を飲まされたと勘違いをします。 本来の自分が違った自分として現れます。 すると、そんな私を見て周りは、右往左往と落ち着かなくなります。 そんな様子を見ていると、戦争の時代を思い出します。 普段、夢はあまり見ないけど、そんな日は怖い夢を多少は見ます。 昔の軍隊が出てきて嫌な思いをします。 怖い風貌の血だらけの兵士たちがいるのです。    血だらけになっている犬が這い回っているのです。 先生が私に語ってくださるのです。 だけど先生が私に語ることを、今は辞めて頂きたいのです。 私の心の中は今、不安な気持ちでいっぱいで、どんなお偉い先生であっても、その助言を聞い入れる事が出来ないのです。 先生がいなくなった時に、その必要性を感じる事ができると思います。 私の経歴の中で、何もなかったということはありません。 しかし、自分の口からは切り出しにくいこともあります。 先生がお調べになる必要はあります。 今になって考えることは多くあります。 先生は私の中にある対象物を訪ねられますが、私の中にいる畜生は、心的外傷を引き起こした兵士達なのです。 先生に問われると、口を閉ざしてくださいと言ってしまうのです。 なので私といる時間ではなく、一緒にはいないときにそのことについて調べて頂きたいのです。 辛い今が大切なのですから… インテーク事例より 執筆者:坂田琴絵      

どんぐりの木

大手術を乗り越え、リハビリを頑張り、在宅介護の生活が始まった。 縁側から広大な野原が見える部屋に、母の介護用品を揃えた。 「お母さん、あのどんぐりの木、大きくなったね。」 「永遠と散歩で見つけて、草刈りで切られるところ、頼んで残してもらったんよ。」 実家の縁側から見える原っぱの中央に、たった1本のどんぐりの木がある。 そこが私の自慢の故郷である。 どんぐりの木は、そんなに珍しいものではないが、草の背丈と同じくらいから成長を見て来ていると、帰省する度に子供の成長の様に嬉しく、見る度に写真に収めた。 広い原っぱで、永遠と散歩をした。 四季折々の野花も咲き、嬉しくてこれもまた写真に残したり、一輪挿しや押し花にした。 草がどんどん成長するのを見て、ここで山羊を飼えば草刈りをしなくてもいいのかなぁ… 牧場の広場にして、お店作って、民泊が出来るようにしたら、関東や関西からお客様が来てくれるかなぁ…。 だったら、体験学習はやっぱり国際交流かな✨ なんて考えていると、これもまた楽しくなった。 「お母さん、今夜は何が食べたい?明日は、ディサービスがあるよ。」 「かのんが好きな物でいいわ。お父さんは、何だっていいんじゃ。」 看取り介護生活は辛かったけど、母とのたわいもない会話や、恵まれた環境の中で、自分のやりたい事をイメージしていると、楽しくも嬉しくも元気で過ごせた。 今夜は、いいちこにするかな…

自然と笑顔になる瞬間

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「桜の花が満開ですよ。」 ご自身で、思う様に体を動かせない方々に寄り添う時、私に思いを伝えて下さる患者様がいた。 「貴女は難しい仕事をしているね。」 「え?」 「だって、自分で痰を出す事が出来ない僕を助けてくれるんだもの。ほっといたら死んでしまうだろう、だから偉いよ。 他にも僕みたいな患者さんがいるんだろう。そんな患者さんも見てるだなんて、本当に立派だよ。」 偉いと思った事はありませんが、仕事が出来る様に努力はしています。〇〇さんが、笑顔で過ごして下されば嬉しいのです。 患者様の体に触れた時、 「あぁなんて冷たい手、温めてから来てよ。 看護師さんが痛くするんじゃないかと思って怖いんだよ。」 温めた手で脈に触れても、恐怖からその手が冷たく感じる。 痛くされるかもしれないと緊張した体は、硬く拘縮していく。 ご自身の思いを伝える事が出来ない患者様は、目を見開いてアイコンタクトを送って下さる。 苦しかったり、痛かったり、不安だったり… そんな思いをしてほしくない。 患者様が、クライアントが、携わる方々が、少しでも安楽な時間を過ごしていただければ、私も安楽である。 戦時中に生まれた両親は、辛い記憶の中、大人になった。 子供の頃、いつも側に居てくれた父や母が、笑ってくれた時が嬉しかった。 ターミナルケアで、辛い時間を過ごす母が、笑ってくれた時が嬉しかった。 母の安否を気遣い、私から母の容態を聞き安堵し、笑顔になった父の側にいる事が出来て嬉しかった。 お母さん、桜の花が綺麗に咲いたよ。 野花もたくさん咲いてるよ。

手当て

 余命宣告された母の体は痛々しい。 母は体のあちこちが痛いと言った。 母は体の一部がしびれていると言った。 母は体が痒いと言った。 だけど、その痛みもしびれも痒みも不自由な体ではどうすることもできない。 温めたり冷やしたりマッサージしたり・・・ 「そうしてくれると楽になる」と喜んでくれた。 穏やかな時間の中で、母と一緒にお喋りしたり、クラッシックを聞いたり動画を観たり。 嗜好品を食べて過ごす時間も安定剤なんだと、側に用意した。 限られた時間、少しでも安楽な時間であって欲しいと願った。 クライアントが母に変わった時、セラピストの道を選んで良かったと思った。 関係者の皆様、私をサポートしてくださってありがとうございました。 いつも側にいてくださった、皆様の手当てのお陰です。

側に居たくて

 「お父さんったら、わざわざアイスクリームを買って来ては一緒に食べて帰るのよ。」嬉しそうに話す母。 「お母さんにアイスを持っち行っちゃったんじゃ。」と照れ臭そうに話す父。 そんな両親を見て、看取りの介護の生活を選んで良かったと思った。 幾つになっても抱き合い寄り添い合う夫婦を間近にし、余生をそっと見守る業務に従事出来た事に感謝している。 自分に足りないモノや出来ない事を、携わる方々が教えてくださる。 いつもいつも年長者様に感謝でございます。

介護日誌

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 在宅看護より 「お母さん、車海老の殻を剥いてくれる。」 「持っておいで。」 車椅子に乗った母は、何ひとつ障害を抱えでいるとは思えない返答だった。 末期癌で、骨盤内の臓器を摘出し、人工肛門と膀胱瘻造設、大腿骨骨頭壊死で歩く事が出来ない。 生まれて初めて障害者手帳を受給される時、「お母さんは、障害者になった。」と落ち込んでいた。 在宅介護で見る母は前向きで、私が子供の頃に見ていた気丈な母のままだった。 「ことえちゃん、海老の剥けたよ。何、作るの?背わた、ちゃんと取りよ。」 完成した海老マヨを食べて母は、「火を通しすぎやわ。」と言った。 在宅介護で生活する時間で、ガーデニングが好きだった母は、庭の花木の枝が伸び過ぎていたり、雑草がたくさん生えている事を気にしていた。 庭の手入れをすると、母は車椅子で外へ出て、何食わぬ顔で草むしりをしていた。 夢中に作業をしている母の疲労が心配で、声を掛け部屋に入ってもらった。 母の姿を見て、涙が出た。 「お母さん、私、国東で仕事出来たらいいんだけど。パパは東京にいるし、行ったり来たりになるから、国東で民泊の仕事が出来たらいいんだけど。観光課にも相談に行ってるんよ。Hも日本語に慣れたら、ポルトガル語も教えられたらいいなって言ってるんだけど。」 父も介護の手が必要だし、国際結婚した長男夫婦には荷が重いよなぁ…。国東は、誇れる豊かな環境だし、介護をしながら、家族の絆を崩さないライフスタイルを真剣に考えていた。 東京出稼ぎナースも悪くないけど、故郷の大分でも仕事が出来たら幸い。パパが定年したら大分で暮らせる様、知人にも仕事を紹介してもらっていた。 両親の介護中、自分の都合で雇って下さった、地元のオーナーさん達には感謝しています。 豊かな環境で、関東、関西エリアのお客様が、癒されたり、学ぶ機会が出来れば素敵だなと、ひとりで民泊事業計画をしていたのです。 今年の春から、二女は自然豊かな環境へ進学しました。 愛猫の大我と、2人(1人と1匹)暮らしです。 「ごはん、出来たよ。」 テーブル椅子に座って欲しそうに見ているのは、可愛い大我です。 〜琴絵メニュー〜 りゅうきゅう丼 トマトとネギのお味噌汁 長芋の梅肉のせ チーズ厚揚げ ほうれん草の柑橘系和え 椎茸のバター焼き 美味しいトマト

泣いたり笑ったりが育てたスキル

同じ目標を持って、仲間と共感し、達成出来たら自然と笑顔になります。 「お母さん、おはよう。今日はよく晴れてるよ。庭のサルスベリと芙蓉の花がたくさん咲いてたよ。」 「お父さんは花に水をあげてるの?」 そんな会話をしていた7年前のこと。 母は末期癌で余命数ヶ月と診断され、私は東京生まれの小学5年生の娘を故郷へ連れて行き、介護生活がスタートしました。 戦争で実母を亡くした母は、勤労学生を糧に自分の夢を実現していました。 養父母は、芸達者となった母の居る置屋へ出向き、お見合いを勧めました。 当時は晩婚と言われ、父と結婚した母は芸妓あがりという経歴だけで、派閥に合っていました。 そんな大人達は、本当の母の優しさや強さを知らずにして、集まればその娘に平気で罵声を浴びせました。 どんなに頑張っている人でも、どんなに努力している人でも、人は自分の価値観でその人を評価する事があります。 娘から見た母は辛そうな時が多かったけど、いつも気丈に振る舞い、我が子の健康と成長をサポートしてくれました。 余命幾許もない事態に置かれ、そんな母に寄り添いたいと言う気持ちは当然でした。 開腹手術後の縫合不全で、露出した臓器と一緒にデブリードマン(傷口を洗浄して綺麗にする)の処置が続く日々のことです。 「お母さん、具合はどう?傷、痛くない?」 形成外科の担当医が、傷口を擦りながら生理的食塩水で洗い流す際は、激痛の表情で「いたいぃ〜、うぅ〜。」と繰り返しながら、私の手を強く握り締めるのでした。 そんな辛い処置の時に、側にいて少しでも安楽になってもらえたら嬉しかったのです。 だけど、付き添って病院から父の待つ実家に戻る車中では、涙が止まらず、こんな顔で帰宅すればまた父が心配するからと、別府湾を眺めながら涙が枯れるのを待ったものです。 流した涙と笑顔とが、私の人生のスキルアップとなり、携わる方々へ、少しでも平穏をお届けできたら幸いだと感じる今日この頃であります。

介護日誌⑧

2014年1月19日日曜日 晴れ 「おはよう」 今朝もお父さん、調子良さそう。良かった。 「トキ子おばちゃんところに行っちくる。」 「私も行く。」 父の姉である叔母さんは、温厚で世話好きである。いつも優しく声を掛けてくれた。そんな叔母さんが好きだった。 ペットだが野良猫だか分からないけど、可愛い猫達にお土産。 「おばちゃん、いりこ、猫にあげて。」 「琴ちゃん、あんな…。」 今までにない弱音を吐く叔母だったが、まだまだ元気そう。来客も多く、妹弟(キョウダイナカヨク)と仲良く日常を過ごしている。歳をとって故郷に帰り、妹弟と和気あいあい過ごしている様子が羨ましかった。そんな仲間入りをしている父は楽しそうだ。 母が入院する病院まで検診で行ったが、「病室まであがりきらんかった。」と気遣ってくれた。 おばちゃんが入れてくれた煎茶を飲みながら、話しをしているその時が楽しかった。 家族と離れて、母の看病がはじまって辛いけど、少しでもそんな時間があったから救われたのかもしれない。 「姉さん、帰るで。」 父が言った。 お土産に、かながしらの煮付けと真鯛のお刺身をもらった。 「おばちゃん、ありがとう。また来るな。」 その足で、母の入院している病院へ行く。 父との面会で女子トークは成らず、伝達事項で明日は造影とMRIエコーね。今夜はお夕飯後絶飲食ね。 「お母さん、湿布貼り替えよう。靴下も履き替えて。緑茶、置いとくね。」 帰宅してから1人で買い物を済ませ、永遠の散歩へ給水タンクのお山まで行く。 大阪から移住して来たご夫妻と世間話をした。喉かな綺麗な環境が住み良いらしい。 お夕飯は、叔母ちゃんからの差し入れと父の好きなポテトサラダにした。私は、レタスとトマトのサラダがいいな。

介護日誌⑦

 2014年1月15日水曜日 晴れのち曇り 少し遅めに起床したら、父が朝食の用意でお味噌汁を作ろうとしていた。 その場は父に任せて、洗濯やお風呂掃除を始めるが、何だか気分が重い。 母が入院している市民病院へ行くと、シーネ固定は外れ抜糸が終わっていた。 週に一度しか来れない整形外科の担当医に会って、お礼のご挨拶と経過を聞きたかったが、既にタイトなオペに入っていて会えず。。。仕事帰りの姉に託した。 父と2人の夕飯は共同クッキングで、父がコウイカ煮と鯵のお刺身を作ってくれた。私は、玄米を炊いてサラダを作った。 飛行機が離陸や着陸する音が聞こえなくなった頃、昭島市にいる家族にLINE電話をした。 2014年1月17日金曜日 晴れPM2.5 覚醒悪くかなり眠い。気合い!気合い!起きる! 父の好きなじゃがいものお味噌汁を作った。 朝食を済ませた父は、外出する事なくこたつでうたた寝をしている。 ここ数日、慣れない家事を積極的に手伝い少々疲労で苛立つ事もあった。 その間に、母から教わった着付け用の着物や子供達への贈り物を荷造りする。ご当地の食品は子供達にとって食べ慣れた味である。 昨日は、のんちゃん学力調査があったはずだけど、どうだったのかな…。 ヤマトの集配は顔馴染みで「帰っちょんのかえ〜・・・・・・じゃあ、お願いします。」 休息日の父のお使いでお薬手帳を預かり、母の居る病院へ行った。 シーネが外れ抜糸も終わり、入浴してすっきりした様子の母だった。 回診時、ソケイ部のリンパ腫を診てもらい、採血とCT検査を終えた。 外へお散歩へ行きたいと言う母に「お母さん師長さんが、治療に専念する為に無理しないでくださいって言ってたよ。」と伝え、売店でアイスクリームを買って、談話室でたわいもない会話で時を過ごした。 母から介護保険証を預かり地域相談室へ行き、認定調査についての書類を受け取り帰宅した。 父に母の介護認定について話すと、なかなか聞き入れて貰えず、口論となってしまった。 「もう東京に帰ってもいいの!」 父がイライラしている様子が耐えられない。あ〜もう嫌だ(涙) 2014年1月18日土曜日 PM2.5 今朝、父の調子は良くて安心。 デイサービス化したリハビリ通院は、父の元気のバロメーターである。 「お父さん、帰りにお母さんにお茶と梅干しを持って行って。」とお使いを頼んだ。 帰宅した...

介護日誌⑥

 2014年1月14日火曜日 晴れ お父さん、今日は早起き。 父の為にじゃがいものお味噌汁を作る。 その後体調が優れず、午前中は横になって過ごした。 お昼ご飯はやせうまのだんご汁(大分の郷土料理)を作った。 午後から母の待つ病院へ行く。 オペ後1週間、外出許可が出て病院近くのファミリーマートまで車椅子でお散歩。久しぶりの外出に大喜びの母の様子を見ていると、午前中の気怠さや食欲不振も忘れていた。母と一緒にアイスクリームを食べた。 実家に帰宅し、永遠の散歩に出掛けた。 他県ナンバーの車が近づいてきて「この辺りに牧場ないですか?」と尋ねられた。 家の前は自然豊かな草原だが、ここは住宅地である。住宅地なので勿論そんな牧場なんてあるはずがないけど、この草原にヤギを飼えば牧場と言えるのだろうか。雑草をヤギが食べてくれたら、草刈りの手間がなくなるのにと考えていた。 野花や雑草が四季折々に楽しませてくれるこの草原が、私は大好きであった。 草原の中心には大きなどんぐりの木が凛と育ち、そのどんぐりの木を見るたびに、子供の頃にどんぐり拾いをした事を思い出していた。 またそんな懐かしい思い出を蘇らせてくれるきっかけとなったのは、母のひと声だった。 もともとニュータウンとして開拓されたエリアで、何もない場所にいろんな植物の種が飛んできて草原に育った。 散歩好きな母が、小さな小さなどんぐりの木を見つけて、草刈りの職員さんに狩らないでと頼んだ。何年も経つと立派などんぐりの木となった。なので、帰省する度にその成長が見れて嬉しかった。 永遠とのお散歩は、思い出に浸りながら心のリハビリとなった。 お夕飯は、ビーフシチューとフレッシュサラダにしたが、食欲がなく父にひとりで食べてもらった。 家族に会いたい・・・。

お母さんが泣いている

 「お母さん、入院してからの面会についてどうする?」 子供の頃に見た母は、眉間にシワを寄せたり、誰も居ない部屋で泣いている姿でした。 母の独身時代のアルバムを見ると、友人や職場の仲間達と楽しそうに笑顔で写真に映っていました。 旅行先での様子や、三味線、花柳流の舞台の様子など、着物姿の母はどれも綺麗でした。 当時のファッションを見てもとても華やかでしたが、私が子供の頃の母は、化粧もせずに日常の家事に追われて子育てをしている母でした。 「お母さん、何でお化粧しないの?」と聞いたことがあります。 「お嫁にきてお化粧してたけど、こんな田舎で化粧しち、何処に行くんかえって言われたから辞めた。」と、そんな環境に不満そうでした。 父以外の周りの大人が、母にDVをしたり、母の居ないところでネガティブな発言ばかりしているのをよく聞いていました。 母は、嫁いびりにあっていました。 精神的に追い詰められた母は、うつ病となりよく体調不良を訴えていました。 周りの大人達がどんなに母を悪く言っても、母はいつも気丈でしたし、食事の大切さや作法をきちんと教えてくれました。時には、楽器を通して音楽の楽しみ方や着物の着方、日本舞踊の舞を教えてくれました。また、植物や動物を育てる喜びも教え続けてくれました。 そんな母がずっと笑顔でいてくれたら、娘の私は幸せでしたから、側にいていつも母の話しを聞くことが安心できる何よりの方法でした。 過渡期で道に迷った私を、母が担任の先生と一緒にそっと、正しい方向に進めるようにナビゲーションしてくれました。だから、今の自分がいるのだと言い尽くせないほど感謝しています。 「ことえちゃん、お母さん誰にも会いたくないわ。」 終末期、末期癌の治療で母はそんな大人達に会いたくないといい、それから面会謝絶の日がはじまったのです。

介護日誌⑤

 2014年1月13日月曜日  スカイブルーの晴天・聖夜 起床してゴミ捨てに行った。 お父さん起きてこなくてちょっと心配。 8時過ぎ 「よう寝た。5時に目が覚めちまた寝入ったんじゃ。」 父は、いつものラジオ体操をしてから、モコモコの上着を重ねリラックマみたいになってお決まりの散歩(ウォーキング)に出掛けた。 父が戻ってくるまでに朝食を作ろう。 今日は、じゃがいもの味噌汁、旨く出来た! さぁ、洗濯。お天気良いから衣類とシーツ洗って、お風呂掃除。 「お父さん、お風呂の窓開けて換気してくれてる。」 ほっと一息。知らぬ間にウトウト寝てしまう。 お父さん何してる? 「ことちゃん、端を持っちょくれ。」 自分用の寝具のメンテナンスで、シーツと毛布を木綿糸で縫い付けている。 父はとても几帳面で、お裁縫は得意な方。 「お父さん、お昼ご飯、親子丼でいい?」 私は、昨夜の残りの大根と黒豆でいいか。 名古屋の叔父さんから、長女に大学の入学祝いが届いていて、お礼の電話をする。 「おじちゃん、入学祝いありがとう・・・。お母さん、足を骨折して手術したの・・・。」 「お姉ちゃんによろしく伝えて・・・。」 母には、たった一人の弟がいる。 私の叔父だが、母と並ぶ尊敬すべき人である。 午後から、永遠と近くの住宅地を散歩した。給水タンクが設置された小さなお山を目指して歩く。結構急坂だけど、永遠は元気よく歩いている。山頂と言う程ではないが、頂上まで着くと、とても見晴らしがよくて向陽台を一望でき、太陽の光を反射した瀬戸内の海が見渡せる。 「永遠くん、ひなたぼっこして行こうか。」 私のように、まったりくつろぐことが出来ない永遠は、辺りの草を後ろ足で蹴ってみたりウロウロしてみたりと、犬の行動に慣れない私は、戸惑いながらも面白い愉快な時間を過ごしていた。 「永遠、そろそろ帰ろうか。」 実家に戻り、溜まったメールの返信をしたり、洗濯物を畳んだりしていると、母の病院から戻った姉が、着替えを済ませた母の洗濯物を持ち帰り、夕飯の食材を買ってきてくれた。 「お母さん、『ことえちゃん来ないの?』って言ってたよ。」 心配だけど、毎日毎日病院通いは辛くて・・・ 台所に立つ姉に、「ありがとう」とだけ伝えて、父と3人でお鍋の夕食を済ませた。 1日の終わり、満天の星を見ながら夫に、今日の出来事の報告の電話をして就寝した。

介護日誌④

2014年1月12日 晴天 「ことちゃん、じゃがいもの味噌汁を作っちょくれ。」 朝食に味噌汁を作る習慣のない私が、父の為に朝食を作る。昨日の疲れや、望まない生活のスタート。出来上がったじゃがいもの味噌汁の鍋を滑らせ、全て溢してしまう。 「お父さん、お豆腐の味噌汁でいい?」 「漬物を出しちょくれ。」 「お母さんが、梅干しを食べるといいって。」 「お母さん所に行っちくる。」 「さつまいものかりんとう作ったから、持って行って。」 手土産にかりんとうと新聞を持って、父は元気に母の待つ病院へ行った。 「永遠、おはよう。お散歩行こうか。」 寝てる永遠を起こしたら、キャンキャン鳴いてブルブル震えている。 「永遠、どうしたの?」 犬の気持ちがよく分からず、撫でてみたりおやつをあげてみたり。ドライフードを食べ終えた永遠は、またブルブルと震え出した。 お散歩用リードに変え、「永遠、行くよ。」 永遠の恐怖心を少しでも和らげたくて、永遠の思いのままお散歩に同行した。元気よく歩き、路肩の草を食べ、排泄をし、力強く私の事をリードしてくれている。母が元気なときは、母と一緒にお散歩していた永遠は、母と歩いたルートを私に教えてくれていた。「永遠、そろそろ帰ろう。」 母に面会してきた父は、私に心配事を愚痴にし、少し安堵した様子であった。 「お父さん、お昼ご飯ちらし寿司でいい。」 昼食を済ませて、母の元へ行った。 「お母さん、かりんとう美味しかった?」 父が持参したかりんとうを食し、満足気な母。車椅子の自走も出来る様になり、治療に前向きである。 「ことえちゃん、もう5時やけど帰らんでいいんかえ?」 「うん、そろそろ帰ろうかな。」 帰宅すると父は、永遠に餌をあげてくれていた。 勝手口から庭用のリードに繋がれた永遠に向かって、「永遠、よしよし、食え食え、よしよし。」と優しく語り掛けていた。永遠のお世話は、母に任せっきりだった父が変わる瞬間であった。 「お父さん、今夜は大根煮て食べようか。」

介護日誌③

 2014年1月11日 晴れ 母が腓骨骨折の手術をしてから4日目の朝を迎えた。外は冬空の晴天で寒さが身に染みる。 雑種犬の永遠は、ご機嫌に尻尾を振って私の顔を見ている。 「永遠、お散歩行こう。」 犬の飼育に慣れていない私は、自分が散歩させられているみたいだった。これから、そんな永遠が、私の良き聞き役となってくれるとは、思いもしなかった。 父と母との生活空間は、正直どんよりとしていて、居心地が悪かった。私が母の看病や父の見守りで実家を生活の拠点とするに当たり、まずはそのどんよりを無くしたかった。最愛の家族と離れて、この居心地の悪い空間で、自分のメンタルの維持をして行くことが不安であった。 石油ストーブで暖を取り、気になる家事をこなした。冷蔵庫の中を掃除し、洗濯槽の漂白をした。 父は、今日は外出しないとLEXUSのメンテナンスをしている。海外赴任中の弟の車を管理している。それから、母が大切に育てている庭の花や木に水を与えている。 2人で、夕べのすき焼きをうどんにして昼食とした。 「お父さん、買い物行ってくるから。」 「行っちょいで。」 エースに食材の買い出しに行く。 地元住民達が集いの場としていたD&Dは、本当に閉店している。新聞記事によると、国東地区では、ディスカウントストアの先駆け的存在で、2002年2月期には約13億6千万円を売り上げていたが、近年、大手ドラッグストアやホームセンターの進出などで競争が激化し、売り上げが落ち込んでいたとある。 買い物から帰宅すると、シンクに入ったままの食器を姉が片付けてくれていた。 姉と2人で母の待つ病院へ行く。 病床でTVを見ていた母は、今日と明日はリハビリがお休みだと話す。 手術の後の傷はフリーで、疼痛コントロールにモーラステープを貼っている。シーネ固定は1週間くらいとのこと。 相変わらず、母のトークは面白い。病床で少しICU症候群?とも思われたが、その場が和んでいたので良しとした。 実家に戻った私は、とり天や野菜やきのこの天ぷらを作った。 21時30分、父は動悸がすると私に訴える。右橈骨動脈をそっと触れ、「お父さん、どうもないよ。疲れてるから早く休んだら。」 父は、自室へ行き休んだ。 iPhoneから、娘たちに電話をした。 「お母さん、今日はお父さんとのんちゃんとモリタウンに行って、パパにピアス買ってもらった。それから...

介護日誌②

 2014年1月10日 晴れのち曇ちらほら雪 今日は、のんちゃんの小学校のあいさつ運動の日。とてもじゃないけど、昭島市まで帰れないからお休みの連絡をした。子供の学校行事に出れないと憂うつになる。 夫が、身の回りの生活用品を宅急便で送ってくれた。ありがとう。 父は元気よく、リハビリに行くと出掛けて行った。その間に家事をこなす。 息切れしながら帰宅した父の両手には、ディスカウントスーパーの商品が入った袋が重そう。 「D&Dが半額しちょったんじゃ。お母さんコーヒーが好きじゃろ。買おうと思うたけど、人がよぉけで行きこなさんかったんじゃ。」レシートをお母さんに渡す様にと預かった。一生懸命に頑張っている父の様子を見ていると、感動と嬉しさで私もついつい頑張っていた。 「お父さんお昼ごはんは、チャーハンでいい?」冷蔵庫にあった、はんぺんとピーマン、しそでチャーハンを作り、父と一緒に昼食を摂った その後、病院で待つ母の元へ行き報告をした。 母に父の様子を話すと嬉しそうに、そして大笑いしていた。そんな母の笑顔を見る為に父と母の架け橋をしていたのだ。 「ことえちゃん、今日は車椅子に乗る練習をしてね、リハビリの先生はね…」 「お母さん、寝たきりになってる暇ないね。」 洗濯物を片手に実家に戻った私は、お夕飯の支度をした。父と姉と3人ですき焼きを囲み、父はとても穏やかな表情で時を過ごした。 その夜は疲れ果てて、入浴もせずに就寝とした。 介護日誌の最後には、良かった!花まるです。と書かれている。

介護日誌①

2014年1月9日 自宅で母の居ない生活を強いられた父は、「ことちゃん、昨日は、動悸が酷かったんじゃぁ。あ〜具合が悪かったのぅ。」と話してくれた。 「昨日は、大変やったなぁ。今日はどうもないんかい?」 そんな会話をした後、父は、玄米の精米に行って来ると玄関で、車の鍵が無いないと言っている。 「お父さん、鍵、手に持ってるやん。」 我に返った様に、手にした鍵を見て「呆けよる」と一言、お茶目な父であった。 「お父さん、帰りにお母さん所に行って、みかん飴を渡してきて。」 「トキコおばちゃん所も、よっちくるけん。」 昨日、具合が悪かった事など忘れて一生懸命な父の為に、お昼ご飯を用意して母の待つ病院へ出掛けた。 「お母さん、おはよう。昨日、手術の後ゆっくり寝れた?足痛くない」 母は、笑顔で話してくれた。 「夕べは痛くて眠れんかったから、座薬と注射をしてもらったけど、あんまり効かんかった。おしっこの管は今日、抜いてくれた。点滴を何回もしたから穴だらけで痛い。」 「お父さん、飴、持って来てくれた?今日は、調子いいみたいで、掃除機をかけて、永遠に餌もあげてくれてたよ。」 そこへ、リハビリ担当のY先生がリハビリの迎えに来てくれた。 「お母さん、一緒にリハビリ室行こう。車椅子に乗って。」 バルーンカテーテル抜去後のトラブルも無く、排泄を済ませ、洗面台の鏡に映った姿を見た母は、「頭が薮んごとある」と言いながら、身なりを整えていた。 「お母さん、今日からリハビリがんばりよ。」 今日の出来事を、マナウスにいる弟にLINEで報告した。

離れた家族との連携

弟が海外赴任をしてから、母は父と2人暮らし。あれから半年が過ぎた。 手の掛かる息子ではなく、頼りにしていた長男が居なくなった生活は、少し気が抜けた様子の母であった。 電話で話す内容は、お父さんと2人だから変わり映えしない食事のことや、神経痛が辛くて、ペット犬の永遠との散歩に出掛けられなくなったこと、庭に植えた花木の成長を楽しみにしていることであった。「お母さん、お正月にはなとのんちゃんと帰るからね。」 大分空港から程近い実家に帰省した際には、母が「最近、神経痛が酷くて洗濯物を干すときに手が挙がらんのよ。腰が凄い痛くて、台所に立ってられんのよ。」と、市販の鎮痛剤が切らせないとの内容が、気掛かりになっていた。その気掛かりが骨盤内や肺の癌を発症させていたとは、いくら悔やんでも悔やみきれなかった。 マナウスにいる弟に連絡をした。 " お母さん、足を骨折して入院してる。全身の検査をしてもらったら癌が見つかった。1日も早く手術しなければいけなくて、私、のんちゃんと大我とさくらを連れて、しばらく国東で生活する。パパには申し訳ないけど、しばらく単身赴任してもらう。お母さんどうなるか分からないから、手術の前に日本へ帰って来れる?いろいろ相談もしたいし・・・。" 弟に久しぶりに会えた母は、嬉しそうだった。