離れた家族との連携
弟が海外赴任をしてから、母は父と2人暮らし。あれから半年が過ぎた。 手の掛かる息子ではなく、頼りにしていた長男が居なくなった生活は、少し気が抜けた様子の母であった。 電話で話す内容は、お父さんと2人だから変わり映えしない食事のことや、神経痛が辛くて、ペット犬の永遠との散歩に出掛けられなくなったこと、庭に植えた花木の成長を楽しみにしていることであった。「お母さん、お正月にはなとのんちゃんと帰るからね。」 大分空港から程近い実家に帰省した際には、母が「最近、神経痛が酷くて洗濯物を干すときに手が挙がらんのよ。腰が凄い痛くて、台所に立ってられんのよ。」と、市販の鎮痛剤が切らせないとの内容が、気掛かりになっていた。その気掛かりが骨盤内や肺の癌を発症させていたとは、いくら悔やんでも悔やみきれなかった。 マナウスにいる弟に連絡をした。 " お母さん、足を骨折して入院してる。全身の検査をしてもらったら癌が見つかった。1日も早く手術しなければいけなくて、私、のんちゃんと大我とさくらを連れて、しばらく国東で生活する。パパには申し訳ないけど、しばらく単身赴任してもらう。お母さんどうなるか分からないから、手術の前に日本へ帰って来れる?いろいろ相談もしたいし・・・。" 弟に久しぶりに会えた母は、嬉しそうだった。