辛い記憶
2019年5月12日〜16日 精神科病棟生活54日目。 全く嬉しくない外泊となった。 一緒に過ごす事の少なかった義母が他界した。 精神科病棟生活で約束事の多い中で、外泊を許可してもらった。 迎えに来た夫と自宅に戻り、葬儀の準備をした。 重たい空気に包まれ、気丈にやるべき事柄を思い浮かべた。 私は運転してはいけないとドクターストップされている身。夫は一人で700キロを超える道のりをスカイラインで飛ばした。 「なんで、私、自分の車を運転出来ないんだろう。親族に今、置かれている状況を伝えるべきなのか。どんな顔をして会おう…」 新名神を下るスカイラインは、家族でよく立ち寄ったSAに停まった。 自然と涙が流れているのは何故? 実母が他界してから半年と経たない間に、暖かい家庭が壊れてしまったんだと思い知る。 翌朝、義母の亡骸を目にし、実母と過ごした辛い闘病生活の面々が回想される。 「私は、夫のお母さんに何もしてあげられなかった。パパのこと、優しく育ててくれてお母さんありがとう。お父さんと天国で仲良くしてくださいね。」 主治医が死因について説明してくれた。 通夜・告別式・納骨、喪主の妻としての任務。 あまり、覚えていない。 いや、思い出したくない。 葬儀から京都へ帰宅すると、両親の介護の為に借りていた安岐町のアパートの荷物が、姉から届いていた。 実母が亡くなり、看病や介護の手が必要なくなった。故郷に帰る理由がなくなり、何だかますます淋しくなった。 さあ、病院に帰ろう。 今の自分の居場所は、精神科病棟なんだよ。