父との生活
高校を卒業し京都へ進学、それ以来父との生活は。 2014年1月、母の末期癌が告知されてから父との共同生活が始まる。 母に依存してきた頑固な父を自立支援するのは至難の業であった。 ある日父が食器洗い洗剤とスポンジを手に握り「ことちゃん、これじ洗っちいいんかえ」と言ったことが忘れられない。はじめて作った卵焼きや、はじめて作ったお味噌汁、疲れた私に作ってくれたお造り。母の看病で病院から帰った私に「お母さんどげぇかい(状態はどう)?」といつも心配ばかりしている父であった。自分の生活の心配と母の癌治療の心配と娘の疲労の心配と孫の慣れない環境での心配とで、不穏になることも多かった。そんな父が少しでも安楽に娘と生活して欲しいと願うばかりであった。 母や家族に依存ばかりしていた父が、母のために母の食べれるアイスクリームを買いに行き母と一緒に病室で食べている様子や、家族の為に洗濯したり掃除したりしている姿が見れて、父の娘で良かったと感謝している。