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12月 31, 2021の投稿を表示しています

悔やまれる思い

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 今年もお世話になりました。 途中からでしたが、大変お世話になりました。 また来年も宜しくお願い致します。 そんな年越しのご挨拶を済ませて、しんしんと降り積もる雪の中、家路に着く。 この1年を振り返り、新しく迎える年への抱負、大晦日を家族と過ごす団欒のことなど、心の内は様々ある。 だけど、口にする事とのない心情は、この大晦日の日に、急性心臓病と言う診断で他界した母のこと。 走馬灯の様に駆け巡る記憶は、余命宣告された母に寄り添いたくて、無我夢中で看病・家族の絆・フリーランスの仕事と向き合った時間。 今、思い返せば、家庭が崩壊してしまう程、私は母に全力を投資したのだろうかと、やるせない思いに駆られる。 全く納得のいかない臨終に、向き合う事が今だ出来ない自分がいる。 母が亡くなって、3回忌となる。 神仏習合の発祥地と言われる故郷で、位牌に手を合わせる事すら出来ない。 我が家には、床の間も仏壇も無い。 だけど、心の中には、いつも他界した母がいるから、どこにいても思い出や感謝を忘れる事はない。 末期癌の闘病生活の中で、少し体調が良い時があった。 もしかしたら、急変するかもしれないというリスクもあった。 母が希望して、「琴絵ちゃん、九重にドライブに行きたい。チューリップが見たい。」 不自由になった身体で、何処でもいいから、ドライブに行きたいと言う母の願いを叶えたかった。 「お母さん、泊まりで九重に行こう。くじゅう花公園は花が、いっぱい咲いてるよ。」 ひとりでドライバーして、付き添いナースして、娘として会話して、大変だけど、外出したら母が笑顔になるし、元気になってくれたから嬉しかった。 「お母さん、九重国立公園の紅葉はすごい綺麗よ。秋になったら、また泊まりで行こう。」 余命3ヶ月と宣告され、前向きに治療に励んだ母は、5年間の年月を楽しみや希望を見い出しながら延命した。 我が子を授かってからは、年末年始に家族で帰省して、父や母が喜んでくれる事が嬉しくて、頑張って働いた。 年を重ねる毎に、父も母も私の話しを真剣に聞いてくれた。 両親が他界し、故郷の存在感がぼんやりしている。 何故だか、母の看病で故郷に帰らなければ、家庭崩壊はしなかったのかな…なんて、母の死が悔やまれてならない。 お母さん、今日は雪が降ってとっても寒いよ。