灯台の立つ岬で
瀬戸内の海面は、太陽の光に照らされてキラキラと緩やかに波打っている。 ウミネコ達の大きな声量は、離れた展望台まで届いている。 ホバークラフトの滑走路に隣接している灯台が、秘密基地だった。 一号空港緑地から見渡せる景観が好きで、時間があれば立ち寄った。 この空港から旅立つ飛行機が、羽田や伊丹まであっと言う間に運んでくれる。 ANAやJALがメインだった時代から、格安航空機が導入され、成田や関空への乗入れも当たり前の時代となった。 最寄り駅に電車や新幹線はないけれど、時短で使えるホバークラフトや飛行機が近くにあった。 私は、そんな環境で育った。 京都へ進学してはじめて帰省した夏の暑い日。 空港はご近所の散歩コース感覚でいた私は、ミュールで帰省した。 母が、「あら、琴絵ちゃんスニーカーはないの?お母さんが買ってあげるから買い物に行こう。」とニューバランスのスニーカーを買ってくれた事を覚えている。 18歳まで育った環境の中で、空港は生活の一部でもあった。 格安航空機の利用で、"飛行機代って高い"という認識が変わり、安くて便利と変換された。 だからこそ、東京で仕事をしながらも、大分の実家で介護ができたのだろう。 相当な体力と気力も必要だったから、移動中の飛行機の中はいつも爆睡でしたけど。。。 介護の合間の息抜きのデートも、心浮かれるものとなりけり。 「パパ、成田に着いたよ。明日から教育旅行の引率なの。トウズでお買い物して帰るね。一緒にごはん食べよう。」 執筆者:坂田琴絵