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アレルギー?風邪?

 ストレッチしてたら 「久しぶりやな、しばらく来てへんかったやろ。」 「具合は悪くないんですけど、ちょっと咳が出てたから、気が引けて、、、」 子供の頃からアレルギーがあって、鼻炎から副鼻腔炎や上気道炎になって、ひどい咳を発症して眠れない学童期を過ごした。 卵アレルギーでインフルエンザワクチンは出来なかった。 太陽に当たったらすぐに皮膚湿疹が出るから、晴れた日は外で遊ばない様に母から注意された。 ストレスや疲労が重なるとアレルギーが悪化して、そのうち体はバイ菌に侵されて風邪なる。 栄養が足りないと風邪を拗らせたり、回復に時間を要する。 病気になったら治療や看病が必要になる。 病気にならない様に、セルフケアできる心理の道へ進んだ。 細かい仕事も多いけど、携わるクライアントが病気にならないなら、その方が嬉しい。 学歴や地位があって活躍していても、何らかの不調で病気になってしまえば、辛い時間を過ごす事になるだろう。 そんな時間は、メンタルトレーニングで、元気に働ける様に訓練をすればいい。 治療だけじゃなくて、セルフケアのトレーニング。 GWの頃 鼻水はどんどん出てくるし、喉がいがらっぽい。 上気道に異物が入ってる感じで、その異物を追い出そうと分泌物がどんどん出てくる。 アレルギーの薬がないと困るけど、飲み過ぎると眠くなったり体が怠かったりする。 アレルギーの薬を飲むと、夜勤業務で思考がまとまらないし、記憶が欠落してしまう。 薬で助かるところと、デメリットなるところもあるから、生活状況に応じて上手く付き合わなければならない。 仲間との談笑で、アルコール(ワインが多い)で消毒すれば、風邪もひかないんだよねって、冗談言ってる。 4年間、ひとり暮らしをしている。 風邪をひいて体がしんどくなったら、誰も居ないと辛いな。 風邪ひいて仕事行けなくなったら、職場に迷惑がかかるな。 そんなネガティブな時間は過ごしたくないな。 ご飯をしっかり食べて、暖かくして休養して、炎症した粘膜をバイ菌に悪戯されないようにしよう。 そんな時、思い出します。 母が「ご飯をちゃんと食べなさい。」って、言って聞かせてくれたこと。 カップラーメンを食べようとした時、父が「お母さんが作ったご飯を食べよ。」と言って聞かせてくれたこと。 夜更かししてたら、両親が「早く寝なさい。」と言い続けてくれた事。 食べた物で...

毎日が娯楽の方がいい

 今も昔もストレス社会です。 それは何故かって? 戦争体験者の子孫は、心的外傷を負った両親から育てられました。 負の連鎖は子孫に反映します。 だから今も終わらないのです。戦争が、、、 父は、昭和17年に生まれました。 母は、昭和18に年生まれました。 両親は、第二次世界大戦の真っ只中、田舎の地主の家系で育てられました。 先祖の曾祖父は立派な軍服を着て写真に残っていました。 祖父からその話しをよく聞かされていました。 立派な人であった事、そして祖父が私に日々歴史を語ってくれました。 息子の父が坊ちゃん育ちで甘やかされて育って、母に苦労をかけている事を悔やんでいました。 甘やかされて育った父は、私を甘やかして育ててくれました。 私にとって祖父はエリートな祖父でした。 父もそんな祖父によく似ていました。 大衆と交わることは好まないけれど、気の知れたファミリーとの団欒を楽しみにしていました。 私は祖父と過ごす会食が好きでした。 とても優しい祖父でしたし、祖父と過ごす両親がとても穏やかでしたから、家族の会食は癒しの時でもありました。 私は介護の世界に長くいます。 時々、優しかった祖父を思い出します。 そして、祖父にもてなす母を思い出します。 「悦子が作った料理がうまい。」と喜んで食べている祖父が好きでした。 母はそんな最中に、嫁いびりにあったのかもしれません。 厳しい環境で生活を強いられた母は、私に厳しかったかもしれません。 一つの事柄をきちんと丁寧に最後までやり遂げることを言い続けました。 娯楽があった方が人生楽しいでしょ。 不平不満愚痴悪口なんて、聞かない方がいいでしょ。 嫌な事を目にしたり聞いたりする時間は、極力避けてひとりで過ごしました。 気分が良くなる音楽を聴いたり歌ったり、詩や絵を書いて過ごしました。 料理を作って食卓に並べると、父も母も喜んでくれました。 嬉しくて何でも作りました。 そんな時間を過ごしながら大人になりました。 それが、集団認知行動療法を学ぶきっかけになったのでしょう。 公衆の面前で演説できるようなキャラではないのですが、携わる方々が少しでも穏やかであり安楽であれば、私自身がハッピーなのです。 不思議とハッピーは伝染します。 実感していましたから"携わる方々にハッピーライフのお手伝い"と、ブログのタイトルにしました。 "まごころこもったおも...

ぼくのはなしをきいて

おとうさんがおおきなこえでぼくのことをおこった おとうさんがぼくのことをこわがらせた おとうさんがぼくのことをおおきなてでたたいた おとうさんがぼくのことをおおきなあしでふみつけた おとうさんがぼくのからだをゆかになげつけた おとさんがぼくのことをあついおゆにつけた おとさんがぼくのことをゆきのふってるひにはだしでそとにだしていえにいれてくれなかった ぼくはただおとうさんとあそびたかっただけなんだよ おとうさんはおかあさんにもおなじことしていた すこしおおきくなったぼくはけいむしょにいるおとうさんにおてがみをかけるようになった おとうさんからおてがみがとどいた おとうさんがぼくのはなしをきいてくれるようになった じょじょより 執筆者:坂田琴絵

結婚詐欺

 施設で育って、少年院から出て来た。 依頼者からの仕事が、傷害致死罪だった。 依頼者が的にした人材を潰すまでは、やり続けろと犯罪を繰り返した。 選ばれた人材… 道玄坂にある小さな人材会社、家政婦紹介が専門だ。 「パパ、介護の仕事、残業多いしオンコールもあって、家事ひとりじゃ大変。お手伝いさんにお願いできないかな。」 お手伝いさんの家事代行とベビーシッターとの併用で、家族が不自由なく生活できていた。 あの家政婦さんが始まりなんだよな。 六本木のネオン街で、社長と過ごす時間は秘話なの・・・。 ネットワークが飛び火して、家政婦紹介会社が医療従事者の人材派遣会社に変わった。 相乗効果から事業拡大は、援助交際を生んだ。 ヤクザも仲間入り。 社長の悪戯は、人の心を殺してしまった。 互いに認め合って生活を始め、子供に恵まれて養育をする。 子育てってかなりのストレスで、家族が協力し合えなければ養育者は孤立してしまう。 孤立すればネガティブな感情が優先するから、我が子と言えども優しく接することができなくなる。 子育てのストレスから、養育者は家庭の外へ現実逃避することになる。 残された家族は、ひとりで子育てを強いられる。 強い不安で仲間のヤクザから、ドラックを手に入れました。 辞めることの出来ないドラックを買うお金が必要になる。 真っ当に働いているだけでは、子育てしながら自由に遊ぶこともできない。 仲間のヤクザと良い方法を思いついた。 私学に通う学生との援助交際を計画した。 ターゲットになったのは、養護施設で育った子供達。 施設に来た子供達は、養育者が犯罪を犯して養育することが出来ない、虐待やネグレクトなどの育児放棄にあっている、両親が病気や障害を抱えていると、複雑な家庭環境があります。 施設で育った子供達は、そんな背景があって入所して来ますが、入所してからは母親代わりの保育士や心理士等の専門スタッフが、親身になって養育してくれます。 恋愛のできる時期になれば異性に興味を持ち、早々に結婚をする事例も少なくありません。 純粋な若人の気持ちを弄んで、麻薬密売組織の資金作りに、児童養護施設の子供達が利用されてしまうという悲しい実態があります。 営利目的で周りの圧力により望まない結婚をすれば、円満な家庭生活にはならないのです。 自分の感情のみを優先させてしまい、家族に辛く当たってしまい...

愛で救う死の恐怖

 和顔 愛語(優しく語りかける) 体を摩る(手当て) 手を繋ぐ(安心) 愛する人、安心できる人が側にいたら、自然と心が和むのです。 死を目前にしていても、欲望を持ち生活していれば、死の恐怖から快楽へと導かれるのです。 欲望が、開放された活動であったり、食欲であったり、性欲であっても良いと考えています。 日本人の大半は、いい年してとか、年甲斐もないとか、生きる活力を減退させる発言をしてしまいがちです。 過渡期の青少年が不良の道を選んで活動していれば、人を傷つけたり、事故や事件を起こさなければ、そんな活動も活発で良いと考えています。 置かれた環境で、自分に自信を無くし、引きこもりとなる青少年が増えています。 引きこもりになるのなら不良でも良いのかと、両者の育成が、励みになっています。 歳を重ねて不良になれば、世間からあれやこれやと噂されるのでしょうが、マンネリ化した生活より、経済効果が得られていると考えています。 人が道に迷う時、「あぁどうしよう、やった方がいいのか、やれば失敗するんじゃないか。」なんて、悩んで労力と時間だけを費やしてしまいます。 そんな事態に遭遇したら、「悩んでるなら実行してみたら。ダメならまた違う方法を考えればいい。」と口癖のようにつぶやいてしまいます。 悩んで何もしなければ何も始まらないし、解決もできないのです。 学生の頃にこっそり読んだ書籍の中に、パスカルの思想があり、その教えが自然と染み付いています。 執筆者:坂田琴絵

やくざナースのおはなし

 「○○家具のソファーがいいねん。」 「ルイヴィトンのバック持ってへんやったら、かっこつかへんやろ。」 「割引商品なんか買うてられへんわ。」 「透析の先生に祇園連れてってもうてん。」 「僕、大阪の暴力団の女の人に恐喝されて、多額の借金を負って逃げてきました。先生が頼りです。神戸山口組の暴力団が、『俺の女に手を出したな。』と脅してるんです。僕は、結婚紹介会社から紹介された女性とお付き合いをしていただけなのに、暴力団に追われているんです。」 そんな話は、結婚詐欺の事例として、仲間同士でフィードバックしています。 女性と縁遠い男性で、ある程度収入のある男性が狙われます。 結婚詐欺をする女性は、自分に自信のある理想の高い女性が多いようです。 出会い系を利用して、詐欺をする人が増えています。 恋愛感情を悪用する商売が、いつの時代も終わらないのは事実です。 ひとりでは幸福感を得られない人達の犯罪・・・ テーマが難しいな。 続きはまたにしよう。 執筆者:坂田琴絵

どんな凶悪犯でも寄り添い向き合う信念

 障害が間違った判断をする。 犯罪者達は、その事に気付いていない。 過ちを正当化したり、快楽やドラックを使い、命掛けで罪から逃れようと尽力する。 判断を間違えて罪を犯したのなら、更生する道を選べば、ハッピーライフとなり得るのだろうが、認知の歪みから、更生の道を選択する事が出来ない。 犯罪を犯す者や、路上生活者などの、平穏な生活とはかけ離れた人達は、何らかの障害を抱えている。 障害があるから犯罪を犯す。 犯罪を犯したから、障害者扱いとなる。 犯罪に巻き込まれ、苦しみから解放されたいから、ドラックを使い現実逃避する。 ドラックが無くならないのは、ブローカーを職業にしている者がいる。 向精神薬を悪用するクライアントをサポートするプロパーがいる。 何が正しくて何が正しくないのかは、見守り話しを聴いてみなければわからない。  暴力団の職業でも、実は社会に貢献する業務に従事している者も多くいる。 続く… 執筆者 : 坂田琴絵

食育

 子供の食育とは、遊びを通して様々な経験をしながら食材を育て収穫し、食を選択する知識や健全な食生活を実践できる力を養い、指導者や仲間と調理して感謝していただく事だと認識している。 自分がそんな学童期を過ごしたから、お婆ちゃんになった今でもその考えは変わらない。 田や畑で収穫された農作物を、家畜で育った命を、瀬戸内海の海産物を日々、食卓に並べて頂いてきた。 売り切れない程の野菜や果物を、腐らせてしまうお肉や、雑魚処分される海産物を、皆でシェアして互いにありがとうと言いながら頂く。 勿論、食品ロスなんてしたら、バチが当たると教わった。 農家の方が、暑い日も寒い日も田畑に出て、お米や野菜果物を作ってくださいます。 家畜農家の方が、牛や豚や鶏を育て、涙を流し出荷する光景を目にしました。 豊後水道の海流に飲まれ命を落とす漁師さんもいました。 スーパーで並んだ食材を奥から選んでいるお客さんを見ていると、そんな背景があるなんてきっと知らないんだろうなと思います。 私が人の命を助けたり、臨終に寄り添う仕事を選んで疲れ果てた時、飲食の皆さんが私の空腹と疲労を癒してくれます。 高いお金を払って、食べ切れない程の食材を、無理矢理胃袋に押し込める邪道な食育ではなく、身体にあった食事を選び、次の活動に活かす為の食事が大人の食育だとも思っています。 だから、私もそんな思いを子供達に伝えてたくて、子供食堂を開きたいとずっと思ってきました。 本当は、故郷の国東でその事業が出来たらよかったのですが、、、。 執筆者:国東市出身京都市在中 坂田琴絵

戦争犯罪と集団心理

 終戦から79年が経ちました。 人口の9割の国民が戦後に生まれている時代になりました。 私が育った環境での教育の中に、平和同和教育がありました。 広島・長崎原爆記念日そして終戦記念日は、夏休み期間中の登校日がありました。 戦争について学んだり、戦争を体験された方のエピソードを聞かせて頂いたりしました。 ある一冊の絵本のストーリーを、熱い日によく思い出します。 空襲警報が鳴って、両親を亡くした女の子が防空壕で動けなくなりました。 喉がカラカラに乾いているところに、避難してきた男の子が水筒に入った残りわずかな水をその女の子に飲ませてあげたのでした。 ほんのわずかな水ですが、家族を亡くし衰弱した女子を救ったのは、同年代の男子でした。 ”御為に崇高な役目を任された。” そんな言葉は、学童期のその男子にも相当していると思いました。 私は学生の頃から、渡辺淳一さんの書籍を読んでは、医学や哲学の道へ進みたいと願ってきました。 思いは叶うもので、”エ・アロールそれがどうしたの”を読んで、介護の道へ進みました。 戦争を経験された年長者様のケアは、学びの日々です。 戦争体験をした場所で違いはありますが、その当時の記憶は消えることはないようです。 ・学徒動員となり、 兵隊さんの食事を作ったり、軍服を作った。 ・飛行機の部品を作っていた。 ・東京から長野に疎開した。 ・父親がシベリアに行って母が大変な思いをして育ててくれた。 ・町中が焼け野原になって何もかもなくなった。 ・両親がいなくなって、養子になった。 ・食べる物に不自由した。 ・戦争が終わっても心の傷が残ったままで、母は衰弱して亡くなった。 ・お金がなくて学校に通えなかった。 戦争を経験している年長者様の話を聞いていると、当時の記憶が鮮明に回想されるようです。 日常では封印しているストーリーも、きっかけとなれば次々と語って下さいます。 辛い戦争を経験された年長者様がご活躍されましたから、戦後の高度経済成長と共に経済大国日本となったのです。 戦没者の方々や戦争を経験された先人の方々、現役の年長者様への感謝の念を忘れてはならないし、平和への大切さも忘れてはいけないと思っています。 いつの時代も人と人が傷つけ合うことは終わりにしたいです。 Peace on Earth ( ピースオンアースことちゃん) 終わらないのは戦争と語ったの...

蛙の子は蛙

 彼女は、地主の長女として大切に育てられました。 戦時中も学業に専念し、女学校を卒業しました。 周りから慕われて立派な大人になりました。 結婚して子供を授かり、息子と娘達は立派に育ちました。 そんな誰からも慕われる英雄の側に多くの人が集まっていました。 周りにいた人達は、英雄の側に集まっては、弱者をターゲットに悪口を言い合いました。 周りの人達は顎の先で、弱者を駒使いのように使っていました。 弱者が言いなりになる姿を見て、兄弟子孫達は何をしても許されると学んだのでしょう。 弱者の家から家財道具を無断で持ち出す様になりました。 弱者は罵詈雑言を浴びせられ、家財道具がなくなる事を嘆きました。 弱者の家族は心労で床に伏せるようになりました。 その姿を見て、周りにいた人達の1人が、家族が健康でないのは弱者のせいだと罵り、精神的肉体的に傷を負わせてしまいました。 そんな様子を見ていた隣人は、情けから使い物にならない品々を弱者の家に置いて行くようになりました。 弱者は、使い物にならない品々ばかりが、家財道具として増え、更に嘆く事になるのでした。 世間から高く評価され慕われる英雄が発信した行動が、周りの人達にどの様な影響があったのでしょうか? いつの時代も弱者は、シチュエイション毎の苦悩の生活を虐げられる者となるのでしょう。 平和・同和・人権教育で、人の大切さを感じたり、相手に対して理解する事ができたり、家族や仲間同志で尊重できる環境作りができたら素敵だと願う。

ファーストエイド

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 名門校の教員が怖い顔をして「君はそこで待っていなさい。」と言いました。 湿原ハイキングへの参加が出来なかったのは、説明のつかない理由でしょうか・・・ 活動を休止させられた女子生徒が、救護者の隣にいます。 「体調悪いの?ハイキングに参加できない理由でもあるの?」 口籠るその子の表情を見て胸が痛くなりました。 宗教上の理由から、参加できない活動もあります。 義務教育の中で行われる行事に移動教室があります。 校舎内だけではなく、仲間と共に学校の外へ出て活動する遠足・社会科見学・修学旅行・サマースクール・臨海学校・ウインタースクールなどがあります。 これらの行事を体験することにより、通常の学校生活とは違った仲間との価値観に気付いたり、見聞を培う事が出来たりするのだと思います。 子供の頃に経験する環境教育が、人格を左右するのだとも考えています。 大切な子供達のイベントを指導・救護する大人達が、虚弱児を作っている場面に遭遇します。 先生・コーチ・キャンプリーダーは、炎天下の活動後、子供たちが大好きなスイカにアイスかき氷を与えています。 暑さや湿気で身体は疲労しています。 胃腸は夏バテをキャッチしますから、消化不良を起こしやすくなります。 夏の活動のキャンプなどで、参加した子供たちを喜ばせようと暴飲暴食をさせる大人がいます。 ほら、嘔吐したでしょ。 ひどい下痢になったでしょ。 すると明日の活動に支障を来たします。 反省会 先生その子は虚弱児ではありませんから、明日の活動に参加出来ます。 消化にも体力が必要ですから、活動内容とその子にあった食事をファーストエイドと捉えてみて下さい。 救護の仕事は、虚弱児を探し出したりつくったりするのではなく、慣れない環境から不調をきたした子供たちを気の合う仲間の元に返すことです。 大人はわざわざ病名をつけて、子供たちの大切な思い出となる活動を休ませることがあります。 お父さんお母さん、お子さんは病気じゃないから、一緒にゆっくり遊んで来て下さい。 そして、お子さんが病気を偽らなければならない本当の気持ちを聞いて下さい。 それも、ファーストエイドの1つだとお伝えしています。 子供たちのやる気を応援したいだけなのです。 それが、故郷への恩返しでもあります。

感染予防とメンタル維持

「こんなに長生きしなくてもいいのに。」 「早くお迎えが来ないかな。」 「迷惑ばかりかけて、もう嫌になっちゃう。」 大正昭和平成令和と時が流れ、心に傷を負ったままその時代をご活躍された年長者様は、激動とも言える時代を前向きに歩いて来られたのだと思う。 半世紀以上が過ぎ、もうとっくに忘れてもいいだろうに、忘れる事が出来ない記憶。 終末期こそ、平穏でありたいからそうあって欲しいと願ったから、今の自分になったんだよなとひとりで呟く。 「今は何でもあるね。昔(戦争時代)は食べる物がなかったから、いつもお腹を空かせていた。」 「戦争の時にさつまいものツルをよく食べた、大豆ばかり食べて嫌になった。」 「怖かったよ、黒人さんが入って来た時は。」 「父が戦争に行っていなかったから、子供達を守る為にお母さんは必死だったんだよ。みんなが寝てから、お母さんが泣いているところを見て辛かった。」 「空襲で家が焼けて何もかもなくなった。」 「戦争に行って父は帰って来なかった。」 「戦争が原因で母は亡くなった。」 「戦争でお金がなくて養子に行って寂しい思いをした。」 身体の不調を伺う時に、ごく当たり前に語られるストーリーは、その方の心の傷なんだ。 これらの記憶が、心的外傷から来る何らかの不調になるのかもしれない。 そこから来るであろうあやふやな症状は、検査して何らかの診断をつけても、手術や薬で完全に治す事は出来ない。 主要な症状を軽減する為の対症療法で、寄り添って向き合って、起きて辛かった記憶を共感し、ご活躍された時の記憶を振り返り労う。 自然治癒力を高めて、今を平穏に過ごして下されば私も嬉しい。 ただそれだけの思いで看取りケアのセラピストの道を志した。 〇〇さん、「お迎えは、順番待ちです。まだまだ時間がかかる様ですから、これから一緒にお散歩に行きませんか?庭に梅の花が綺麗に咲いていますよ。」 母にも同じ様な事を言って外出アクティビティとし、お花見に連れ出した。 桜の花や菜の花が綺麗に咲いていて、今でもその記憶が鮮明に残っている。 看取り看護(介護)をする時、私はとてもエネルギーがいると感じている。 だからこそ、自分が心身共に元気でなければ、寄り添って真心を持ってお手伝いなんて出来ないとも実感している。 流行り風邪をひいたり、ストレスや疲労から憂鬱になったりすると、おもてなしやまごころお手伝いは、...

ライダーおばあちゃんの1日

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晴天の秋空が気持ち良くて、家事より大事なことがありました。 バイクに乗って、紅葉山トンネルを抜けると 京都丹波高原国定公園です。 日吉町産の黒豆枝豆のもぎ採り会場で 大好きなママと枝豆チョッキン。 おばあちゃんの抱っこでお昼寝中 おばあちゃんとシャボン玉して ママの所へ飛んでって嬉しかったよ 桂川を見ながら、温泉プールに入りました。

丸かじりりんごと冷たいおにぎりが美味しい訳

「 ♪  ゆきだるまつくろう ドアをあけて いっしょにあそぼう どうして でてこないの? ♪ ねぇねぇ、ことちゃん、来年も合宿来て〜。 一緒に登山しよう!」 具合が悪いわけではなく、楽しげに保健室に入ってきた少女は、小学5年生。 「アナ雪、ことちゃんも好きだよ。 ♪  ありのままの 姿見せるのよ〜 ありのままの 自分になるの〜 ♪ 来年も一緒に登山しようね。」 八ヶ岳スケッチラインを走行するスカイラインは、私を元気にしてくれた。 " 山頂で笑顔あふれる子供たち " あの日の子供達の嬉しそうな顔がまた見たくて、ここに来たら会えるんじゃないか、そんな空想もいつか現実になるといいな… 「こんにちは。」 「こんにちは、みなさん何年生ですか?」 「5さい! 6さい! 年長さんです。」 「みんなかっこいいね!がんばってね。」 今日は、仕事ではなくてプライベート。 自分のペースで、山頂を目指す。 子供たちの声が後ろから聞こえてくる。 「あっきのこ。きのこはかせ〜。 あっトリカブト、ここにもトリカブト。 おはなはかせ〜。」 「いま、いきまーす。 まほうのかかったはっぱがダンスをおどってる。」 「みんな、少し休憩しよう。おやつの時間。 おーい、みんな景色がすごーい。向こうの山にぶつかってヤッホーが返って来るかな?」 そんな心暖まる会話を聞きながら、八ヶ岳に自生する植物を見つけては立ち止まり、草花に近寄っては写真に収め、ライブラリーに保存した。 予定の時間より贅沢に時間を儲け、イノセンスな大人だったかもしれない。 山頂で、幼児と赤ちゃんを抱っこして登山してきたファミリーに出会う。 登山道で、すれ違う登山者達に褒められ、登山を達成した男の子の表情は素敵だった。その家族は輝いて見えた。 「景色を見ながら、お弁当美味しいね。 つかれたからおにぎりおいしい、おかあさん。 本当、お腹、空いたよね。」 そんな素敵な家族に会え嬉しかったのと、うらやましかった。 下山途中で出会った老夫婦から声を掛けていただいた。 「あら、お一人?」 「はい。・・・・・・。」 何故、一人で登山なのか、どうして清里に来たのか?など、まるでご近所さんのように話しが弾んだ。再び足を運び始めようとすると、 「待って、りんごがある。山頂で食べようと思ってたの。長野のりんご、まだ早稲だけど…。いい、おばさんでし...

おさんぽ

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ママとおばあちゃんとくつやさんにいって てんいんさんが あしのサイズをはかってくれたよ      ぼくのファーストシューズ     ひとりであるけるようになったよ ママがぼくのことをみててくれるからあんしん ママおさんぽってたのしいね

介護日誌⑤

 2014年1月13日月曜日  スカイブルーの晴天・聖夜 起床してゴミ捨てに行った。 お父さん起きてこなくてちょっと心配。 8時過ぎ 「よう寝た。5時に目が覚めちまた寝入ったんじゃ。」 父は、いつものラジオ体操をしてから、モコモコの上着を重ねリラックマみたいになってお決まりの散歩(ウォーキング)に出掛けた。 父が戻ってくるまでに朝食を作ろう。 今日は、じゃがいもの味噌汁、旨く出来た! さぁ、洗濯。お天気良いから衣類とシーツ洗って、お風呂掃除。 「お父さん、お風呂の窓開けて換気してくれてる。」 ほっと一息。知らぬ間にウトウト寝てしまう。 お父さん何してる? 「ことちゃん、端を持っちょくれ。」 自分用の寝具のメンテナンスで、シーツと毛布を木綿糸で縫い付けている。 父はとても几帳面で、お裁縫は得意な方。 「お父さん、お昼ご飯、親子丼でいい?」 私は、昨夜の残りの大根と黒豆でいいか。 名古屋の叔父さんから、長女に大学の入学祝いが届いていて、お礼の電話をする。 「おじちゃん、入学祝いありがとう・・・。お母さん、足を骨折して手術したの・・・。」 「お姉ちゃんによろしく伝えて・・・。」 母には、たった一人の弟がいる。 私の叔父だが、母と並ぶ尊敬すべき人である。 午後から、永遠と近くの住宅地を散歩した。給水タンクが設置された小さなお山を目指して歩く。結構急坂だけど、永遠は元気よく歩いている。山頂と言う程ではないが、頂上まで着くと、とても見晴らしがよくて向陽台を一望でき、太陽の光を反射した瀬戸内の海が見渡せる。 「永遠くん、ひなたぼっこして行こうか。」 私のように、まったりくつろぐことが出来ない永遠は、辺りの草を後ろ足で蹴ってみたりウロウロしてみたりと、犬の行動に慣れない私は、戸惑いながらも面白い愉快な時間を過ごしていた。 「永遠、そろそろ帰ろうか。」 実家に戻り、溜まったメールの返信をしたり、洗濯物を畳んだりしていると、母の病院から戻った姉が、着替えを済ませた母の洗濯物を持ち帰り、夕飯の食材を買ってきてくれた。 「お母さん、『ことえちゃん来ないの?』って言ってたよ。」 心配だけど、毎日毎日病院通いは辛くて・・・ 台所に立つ姉に、「ありがとう」とだけ伝えて、父と3人でお鍋の夕食を済ませた。 1日の終わり、満天の星を見ながら夫に、今日の出来事の報告の電話をして就寝した。

安心と安全

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チューリップ、花びらが落ちそう。 「のんちゃん、明日の科目はなに?」 「世界史と化学。大事なところは、まとめてる。」 「お母さんのお仕事みたい。」 私は学校が嫌いでした。 だけど、学習は好きでした。 母が、本を読みなさいと本棚にたくさん本を並べてくれました。 父が、宿題をしてから遊びなさいと教えてくれました。 両親が、夜遅くまで勉強しなくていいから早く寝なさいと注意してくれました。 姉弟と、早起きをして勉強をしていました。 私は、ひとりで図書館に行って本を読むことが好きでした。 私は、自然の遊具を使ってひとりで遊ぶことが好きでした。 大人が、気の合う仲間と活動する喜びを教えてくれました。 〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜 大好きな画家さんの絵本の一文をご紹介させていただきます。 〜母なる地球のために〜 シム・シメール作  母なる地球にすんでいるのは、動物たちだけではありません。とてもたくさんの人間たち。 夜空にかがやく星よりも、数多くの人間たちが、すんでいます。 そして、どの人間もみんな、やはり母なる地球のこどもたちです。 動物と人間と母なる地球は、ひとつの大きな家族なのです。 だれもが母なる地球という、大きな家族の一員であることを、人間たちは忘れてしまったのです。 でも、動物たちは覚えています。 そして毎日のように、わたしたち人間に語りかけています・・・ 家族を愛することを、忘れないで、と。 〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜♡〜 両親は、何よりも安心と安全を優先していたのです。 ありがとう、お父さん、お母さん。

花びら舞う季節へ

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 立春が過ぎ、だんだんと寒さが和らいできました。冬の間、小さな蕾だった花が開きはじめています。  そして桃の節句の時期、毎年この季節がやってくると嬉しくなります。 もともと3月3日は、縁起が悪い節目の日として中国から伝わりました。そこで縁起がいい、邪気払いの効果があると信じられてきた花木が、桃の節句に使われてきたそうです。 私が子供の頃は、床の間にお雛様が飾ってありました。庭には濃い桃色の桃の花が咲き誇っていました。菜の花は一面に咲いていて、桜の木にはさくらんぼが実りました。 娘が生まれた時に、母が娘に雛飾りを贈ってくれました。毎年とても楽しみに飾っていました。一緒に桃の花や菜の花そして桜の花を飾って、部屋が一気に賑わっていました。 両親の介護をしている間に、大事なお雛様は去ってしまいましたが、このイベントは今でも大切にしています。 今年は、紙で作られたお雛様と部屋に飾った啓翁桜が、マイホームでのリラクゼーションへと導いてくれています。 連日、仕事や家事で趣味の散策やトレッキングに行けないけど、マイホームで四季を感じて喜んでいます。 娘がテスト勉強で机に向かっている時、そっと一輪置いて少し目を休める様にと語り掛けています。 小学1年生の娘が、学校の帰り道に野花を摘んで帰り「ママ、おみやげ」と渡してくれた日を思い出します。 桃の節句の教えは、現代人を元気にしてくれていた習わしだったんですね。

クッキングセラピー

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「お母さん、生クリーム残ってるけどケーキ作らないの?」 「明日、帰り早いから作る。」 娘たちが小さい頃は、イベントの度によくケーキを作ったな…。 子供って、お菓子作りが大好きで、率先してお手伝いをしてくれるんです。 お手伝いから主体性に変わり、今では遥かに母を越してしまいました。 今日は、簡単に出来て自分好みのレアチーズケーキにしました。 物作りをしていると、邪念が消えます。 完成した時、達成感が得られます。 親子の絆が深まります。 幸福感が生まれます。 おうちにあるモノで、楽しくworkが出来るといいですね。

シェアするって思いやり

今日はバレンタインの日。 例年、私と娘はチョコレート菓子作りに精を出しています。 「今年はどうする?」 「どうしようかなぁ。。。いつものメンバーに渡そうかな。」 「お母さんは、あげる人いないから自分用に作ろうかな。ラムレーズン出来てるから、アーモンド入れてラムレーズンチョコにしよう。」 のんちゃんの作ったクッキーは、とっても美味しくて可愛いアニマル型。 材料を一緒に買いに行って、シェアしながら作って食べて。 我が家のクッキングや食事は、シェアが基本。 母と娘の2人暮らしだけど、お料理を大皿に盛って小皿やワンプレートに食べれる分、取り分けるスタイル。食べきれなかったら、食中毒を起こさない期間内にいただく。 団欒でシェアしていると、相手の事を考えながら食べる事が出来る様になります。 食べきれない物があれば、食べれる仲間に譲り、食品ロスをなくしたいですよね。