出稼ぎフライトナース
2014年の年明けから実母の末期癌治療の看病が始まった。当時、小学5年生の娘を大分の母校に転入させての事であった。夫は関東で単身赴任、長女は進学で京都での生活が始まった。 母の状態が安定してきた2014年6月から、天職だったナースに復帰する。もともとナースだけどフリーターだった私は、住み慣れた東京と京都で派遣ナースとして業務に従事することになる。LCC(格安航空機)を利用し、単発・短期で救護・介護等の職務を全うし帰省していた。父の介護と母の看病で疲れた身体にムチを打ち、夫と長女の安否確認やメンタルコントロール維持を目的とし、派遣ナースの仕事をしていた。 故郷にこんな都合の良いフリーランスナースの受け入れがあれば出稼ぎナースをしなくてすんだのだが、ボランティア精神の強いエリアでは単発ナースの受け入れは厳しかった。 派遣ナースの業務の中に、ツアーナースという業務があり、移動教室・自然学校・教育旅行に添乗することがある。救護を主とし、行程の中にある活動に参加することもある。一番多いのが、ハイキングやトレッキング登山である。イベントに参加されているクライアントの救護も当然だが、道中脱落脱線しないようにそっと見守ったり支えたり応援したりすることも多かった。目標に向かって頑張る子と子達を指導する指導者のサポートができ、無事に業務が終了し皆が笑顔になるその瞬間が嬉しかった。 家族がバラバラになり辛い看病と介護も、そんな多くの笑顔があったから頑張ってこれたのである。 つづく