戦争犯罪と集団心理

 終戦から79年が経ちました。

人口の9割の国民が戦後に生まれている時代になりました。

私が育った環境での教育の中に、平和同和教育がありました。

広島・長崎原爆記念日そして終戦記念日は、夏休み期間中の登校日がありました。

戦争について学んだり、戦争を体験された方のエピソードを聞かせて頂いたりしました。

ある一冊の絵本のストーリーを、熱い日によく思い出します。

空襲警報が鳴って、両親を亡くした女の子が防空壕で動けなくなりました。

喉がカラカラに乾いているところに、避難してきた男の子が水筒に入った残りわずかな水をその女の子に飲ませてあげたのでした。

ほんのわずかな水ですが、家族を亡くし衰弱した女子を救ったのは、同年代の男子でした。

”御為に崇高な役目を任された。”

そんな言葉は、学童期のその男子にも相当していると思いました。

私は学生の頃から、渡辺淳一さんの書籍を読んでは、医学や哲学の道へ進みたいと願ってきました。

思いは叶うもので、”エ・アロールそれがどうしたの”を読んで、介護の道へ進みました。

戦争を経験された年長者様のケアは、学びの日々です。

戦争体験をした場所で違いはありますが、その当時の記憶は消えることはないようです。

・学徒動員となり、 兵隊さんの食事を作ったり、軍服を作った。

・飛行機の部品を作っていた。

・東京から長野に疎開した。

・父親がシベリアに行って母が大変な思いをして育ててくれた。

・町中が焼け野原になって何もかもなくなった。

・両親がいなくなって、養子になった。

・食べる物に不自由した。

・戦争が終わっても心の傷が残ったままで、母は衰弱して亡くなった。

・お金がなくて学校に通えなかった。

戦争を経験している年長者様の話を聞いていると、当時の記憶が鮮明に回想されるようです。

日常では封印しているストーリーも、きっかけとなれば次々と語って下さいます。

辛い戦争を経験された年長者様がご活躍されましたから、戦後の高度経済成長と共に経済大国日本となったのです。

戦没者の方々や戦争を経験された先人の方々、現役の年長者様への感謝の念を忘れてはならないし、平和への大切さも忘れてはいけないと思っています。

いつの時代も人と人が傷つけ合うことは終わりにしたいです。

終わらないのは戦争と語ったのも、お国の為に志願した国民達が負った心の傷は、今の時代も消える事はない。

大切な命を亡くした家族の思いは、計り知れない。

心的外傷を負った両親から育てられた子供達が、その親のトラウマをどう捉えて成長するか?

多かれ少なかれ戦争犯罪が、今も人の心を左右している。

戦後平和国家となったのだろうが、世界の平和をも国家の平和とすならば、本当の意味で平和な地球となるのであろう。

辛い記憶は忘れたいが、その記憶を大切にし、その辛さをプラスに変えることが出来たら"平和な大地"となリ、笑顔の絶えない日常となるのであろう。

頬を伝う雫が塩っぱく、そのスパイスが心のエッセンスとなり、人情や愛情を養うのであると願う。

執筆:坂田琴絵


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