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兵士と過ごした時間…

「お願いだから帰らせて、私は騙されたの。」 本当はここで生活したくないんです。 あの子が私の本当の気持ちから目をそらしています。 もう私にはどうすることもできません。 病気扱いにされて、薬漬けになりました。 あの子は「母が少しでも穏やかに生活してくれたらいい。」と言って、動けないように縛りつけたり、薬を飲ませて私から自由を奪いました。 本当に、ここから逃げ出したいのです。 家族で団欒を築いたマイホームに帰りたいのです。 その事を言っているのに、みんな私の気持ちを阻止するのです。 「私が間違えているの?なんでそんな意地悪言うの?」 素直な気持ちを伝えているだけなのに、ご機嫌取りの使いの者が、あれやこれやと宥めます。 落ち着かないからと、鎮静剤を飲まされます。 望んでいない薬を飲まされたら、毒を飲まされたと勘違いをします。 本来の自分が違った自分として現れます。 すると、そんな私を見て周りは、右往左往と落ち着かなくなります。 そんな様子を見ていると、戦争の時代を思い出します。 普段、夢はあまり見ないけど、そんな日は怖い夢を多少は見ます。 昔の軍隊が出てきて嫌な思いをします。 怖い風貌の血だらけの兵士たちがいるのです。    血だらけになっている犬が這い回っているのです。 先生が私に語ってくださるのです。 だけど先生が私に語ることを、今は辞めて頂きたいのです。 私の心の中は今、不安な気持ちでいっぱいで、どんなお偉い先生であっても、その助言を聞い入れる事が出来ないのです。 先生がいなくなった時に、その必要性を感じる事ができると思います。 私の経歴の中で、何もなかったということはありません。 しかし、自分の口からは切り出しにくいこともあります。 先生がお調べになる必要はあります。 今になって考えることは多くあります。 先生は私の中にある対象物を訪ねられますが、私の中にいる畜生は、心的外傷を引き起こした兵士達なのです。 先生に問われると、口を閉ざしてくださいと言ってしまうのです。 なので私といる時間ではなく、一緒にはいないときにそのことについて調べて頂きたいのです。 辛い今が大切なのですから… インテーク事例より 執筆者:坂田琴絵      

大切な人

 あなたの大切な人がいなくなった あなたの大切なペットがいなくなった あなたの大切な友達がいなくなった あなたの大切な仲間がいなくなった あなたの大切な愛する人がいなくなった あなたの大切な親がいなくなった あなたの大切な子供がいなくなった あなたの大切な宝者がいなくなった 生きてれば いつか 必ず 出逢えるよ 執筆者:坂田琴絵

何もかも失くしました

「京都南救急です。48才男性、吐血の患者さんです。先生、受け入れいいですか?」 「藤井さん、内視鏡でエタノール局注するから準備して。」 「わかりました。」 「処置、終わりましたよ、お疲れ様でした。しばらく入院して検査と治療になります。」 「看護師さん、僕ね、仕事も家族もなくして、1人になって、酒ばかり飲んでたんです。もう、死んでもいいと思って…。」 救命の医療で、クライアントの疾病を引き起こした主訴に対して、ただ聞いてる事だけが辛かったと記憶が残っています。 救命の現場で、クライアントの心の治療がしにくいのが、現状です。 心を痛めたクライアントが、自傷行為をして救急車に乗って病院へ運ばれてくる事はごく当たり前にあります。 リストカットや薬物毒物による中毒、飛び降り飛び込み事故と様々です。 医療の現場にいたら、その方の思いとは反した治療をせざるを得ないのです。 助けられた命に向き合って生きて行かなければならない、その命にどう向き合うかを考えれば、いつの日も課題はあるものなのです。 「看護師さん、私、何もかもなくしてしまいました。」と、泣いて語るクライアントの肩を撫でる事しか、出来なかった記憶が強くて残っています。 執筆者:坂田琴絵

痛いよ、苦しいよ、助けて

 「弱った、困った、どうしよう。」 どうされました? 身体のどこが痛いのですか? 苦しいところはどこですか? 聞いて答えられるなら、見えない問題は簡単に解決できるのでしょう。 大抵のクライアントは、自分が何に苦しんでいるのか、どうして心を痛めているのか明確ではないのです。 「はじめまして。」とご挨拶する時に、第一印象ってとっても大切で、この瞬間にクライアントとの関わりが決まると言っても過言ではありません。 緊張した顔、悲しい顔、怖い顔、辛い顔、無表情な顔。 どんな表情であっても、それがその方の今の心の表れなのですから、丸ごと受け入れて、身体の力を抜いて主訴を聞いています。 静かに、その方の話しに耳を傾けていると、必ずその方の緊張の糸が緩んで、違う一面が見えてきます。 ほらっ、緊張した顔、悲しい顔、怖い顔、辛い顔が笑顔になったでしょ。 「ママ、お帰り。今日はくららのお仕事どうだった?」 今は亡き年長者様に感謝でございます。 執筆者:坂田琴絵

いろんな私と本当の私

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 「あらっ奥さん」なんて呼ばれることもあった。 今は「坂田さん、坂田ナース」と、呼ばれることが多い。 生まれた時は名前がなくて。 両親が素敵な名前をつけてくれて。 「ことちゃん、ことえちゃん」って、呼ばれて育った。 成長して「琴、琴絵」って、呼ばれて。 もう少し成長して「藤井くん、藤井ナース」って、呼ばれて。 そのうち「ママ、お母さん」って、呼ばれて。 子育てしてると「はなちゃんママ、かのんちゃんママ」って、呼ばれて。 はじめましてで「奥さま」と、呼ばれて。 気がついたら「おばあちゃん」なんて、呼ばれてた。 気の合う仲間との職場で、同じ年頃の同僚と「お婆ちゃんになったらお世話してくださいね。」 「私をお世話してくださいよ。」 「お互いにお世話しあったりして、看護師だからうるさいのよ。」 「老々介護ですね。」 なんて話しをしていると、老後の心配も楽しい計画となるのです。 残業で遅くなった帰路のバスの中は、ゆりかごのようで眠りを誘います。 終点に着いたら、運転手さんが「お客さん、終点ですよ。」と、声を掛けてくれることもあります。 桂坂のバス停で下車して、ほんの少しの距離を歩く足取りが重く感じます。 誰も待っていない家へ帰るって、こんな気持ちなんだと、つくづく感じます。 玄関のドアを開けると「たいが、さくら」と、心の声が漏れてきます。 「ママ、お土産は?」 「ママ、ごはんできてるよ。」って、家族の声が聞こえてきそうです。 蛍光灯の音だけが聞こえてきます。 今夜は、作り置きしたおばんざいをお供に、薔薇の花びらが彩るワインで余暇を過ごしました。 ネット配信の動画を見てひとりで、笑ったり、泣いたり、感動したりしています。 冷えた身体を暖かなお湯で温めて、スローテンポのメロディーに耳を傾けていたら、今朝、目覚めてから緊張していた自分が、楽チンな自分に変わっています。 照明を落とした空間で、1日を振り返ります。 そして、明日のスケジュールを確認します。 翌朝、予定通りに目覚めて、"元気に出掛けることが出来れば良し"としています。 ひとり暮らし、52才のライダーおばあちゃんは、セラピストナースでした。 いつかどこかでお会いできる日を楽しみにしています。 執筆者: 坂田琴絵         本日の夕食

御心のままに

死期を悟った年長者様が、自ら食べることを辞めました。 身体が徐々に衰弱していきました。 「死にたいです。葬儀の準備をしてください。」と言いました。 とても複雑な心境なのです。 人の死に向き合って寄り添っていると、そんな気持ちになります。 気がつけば心が疲れ果てている事があります。 暗がりの通勤路を歩いて帰りました。 街路樹の落葉樹がライトアップされていて、とても綺麗だなと思いました。 思いのままに心のアトリエに納めました。 振り返れば、心のアトリエが物語りに変わっているのです。 ワイングラス越しに見た先生の笑顔が忘れられません。 ご迷惑をお祈りします。 執筆者:坂田琴絵

母を護るために

 城下町杵築市で生まれ育ち、戦争で実母を亡くし養女となった。 戦後の物のない時代は、遊ぶ時間より学業と家業の手伝いに没頭した。 継母から厳しい教育を受けたことが、大人になった母の心を苦しめていたのだろう。 受け入れがたい抑圧された学童期を過ごし、やりたかったお稽古事を身に付けるために故郷を後にした。 高度経済成長期に良き仲間に恵まれ、 ”芸は身を助く” と名古屋で花柳流の舞踊の芸を身につけ、芸妓としておもてなしを職業としていた。 三十路近くになって、養子となった両親から大分に帰って結婚をする様に説得された。 当時、国東の大所帯の地主で、マグロ漁船に乗り漁師を志願した、坊ちゃん育ちの父と母はお見合いをした。 芸妓上がりで養女というだけで、母は祖母や叔父叔母から邪険に扱われていた。 親兄弟に散々小言を言われ帰宅した父は、母に冷たく当たった。 アル中男が父の留守中に家へ上がり込んでは、母に罵声と暴力でストレスを発散していた。 誰もその現実を改善しようだなんて思わなったのだろう。 ”長い物には巻かれろ” 弱い者は強い者の味方になる。 家族が寝静まった茶の間で、母が泣いて過ごしている様子を鮮明に覚えている。 疲弊する母の背中を見て育った。 母は何があっても寝込むことなく、翌朝にはお味噌汁を作って「ちゃんとご飯を食べないと勉強が出来ないから、少しでもいいから食べなさい。」と学校へ送り出してくれた。 体調が良くないときは、このお茶を飲むと調子が良くなると、漢方のお茶(ハーブティ)を飲んでいた。 坊ちゃん気質の父はお人好しで、言われるままに騙されて保証人になり、多額の借金を負った。 サラ金屋からの電話で、居留守中の父はいないと伝えると「お嬢ちゃん、お父さんにお金払うように言うといて。」とドスの効いた声で伝言を聞いた。 時には自宅まで押し掛けたチンピラ風のサラ金屋のおっさんが、家に上がり込んでは返済を要求した。 「ねぇ物はねぇんじゃ。」と、父はサラ金屋に焼酎をぶちまけていた。 怯んだチンピラ風のサラ金屋は二度と来なかった。 自分が見た情景が、コントの様なワンシーンの連続であり、非日常過ぎて誰にも話せずに大人になった。 豊後水道での捕獲量も少なくなり、船頭や船乗りで手伝ってくれた仲間も離れ、母は家計を助ける為に昼夜と働いた。 そんな環境の中でプラスの贅沢など出来るはずもなく、学...