投稿

事実は小説よりも奇なり

「その節はお世話になりました。仕事は順調なの?」 「新しい仕事も頑張ってるところなんだ。そう言えば此間、西京都に挨拶へ行って来たんだ。」 「懐かしいなぁ、2003年に辞めて以来で京都を離れて、職員とも交流ないしな。○○先生どうしてるんだろう。」 「学会で会ったよ。相変わらず元気そうにしてたよ。ことちゃんは最近どうしてるの?」 「母の治療も少し落ち着いたから、大分の実家と東京での仕事を行ったり来たり。時々、華の様子伺いに京都行って出稼ぎ労働してるくらいかな。」 「変わらず、頑張ってるんやね。最近、ボランティアで埼玉に行ってるんや。」 「忙しいだろうに、何してるの?私もボランティア活動で、故郷の子供たちの環境教育のキャンプに付き添ってんの。両親の介護と、娘が学区外で母校の小学校にお世話になってるから。少しでも恩返しが出来たら嬉しいし。」 「そうなんだ・・・。明日、息子が遊びに来るんだ。」 「楽しみだね。出稼ぎナースに協力してくれてありがとう。」 こんな会話をしたのは、2015年の頃。 あの頃、バラバラになりそうな家族を離れないように尽力した。 今日は2023年12月6日。 本当に家族がバラバラになって、単身生活を送るだなんて、全く考えていなかった。 子育てが一段落したら、妻が大好きな夫と趣味の旅行や映画鑑賞をゆっくり出来ると信じて頑張って来た。 人生って、理想と現実は違うんだと痛感している。 傷んだハートは、私なりに治療してます。先生! 回想もまだ辛いな、、、。続きはまたにしよう。

素直な気持ち

「お疲れ様です。あれ、まだいたの?『今日、主人が迎えに来てくれるから待ってるの。』また一緒に食事しましょうよ。『お勧めのワインがあるから是非遊びに来て、楽しみにしてるね。』」 仕事が終わり、急いで帰る理由もなければ何ら当てもなく、疲れた身体と空腹を満たす為の欲求だけで、気ままに歩き立ち寄る行先は... 三つ子の魂百までか、その地で食べて育った味がほっとする。 国東の新鮮な食材で調理された野菜や魚介類。 もぎたての果物は、最高のデザート。 ご近所付き合いの物々交換で、食品ロスを減らすのは当たり前。 今夜のお夕飯はプチプラ食材で気分は贅沢です。 いつも疲れた私に美味しいごはんを作って下さっている調理のプロフェッショナルさんに感謝しています。 秋の夜長の頃、空を見上げればついつい写真に収めたくなるキレイな夜空。 自宅の玄関を開ける時は複雑な思いで、ただ身体を清め休息をしなければと帰宅するばかりで。 いつの日から、こんな嬉しくない帰宅になったんだろう... さくら、さくちゃ~ん、たいが、たいちゃ~ん、いない、私の娘たちもいない、パパもいない。あれ?私ひとり暮らしだったんだ。 ひとりぼっちの誰もいない空間... 思い出さなくてもいい記憶が、疲れた身体を襲ってくる。 何故、私を監禁拘束部屋に隔離したの? 私、精神病じゃない。 脳内に異常なんてないし、脳の検査なんて必要ない。 身体のどこも悪くないし、健康診断でもなんら問題はない。 私を病人扱いにしないで。 私はあなたに、今私の身の上に起きている事実を伝えているだけ。 非常事態をどんなに説明しても、あなたは事実を捻じ曲げて交差交流ばかり。 即興劇が逸脱行動と認識され更なるサイコドラマへと展開するとは... 心的外傷からのフラッシュバックと日々向き合い、自己分析から精神分析療法で、明日の活動が有意義な時間となればいいななんて、涙の混じった化粧水をぬっています。 母が家庭不和で悲しい時間を過ごしていた時、社会人になった私は、簡単に「別れたら」なんて言った事があった。 母は、お父さんと離れたら子供達が帰ってくる家がなくなる。 子供達がお母さんに会いに来なくなる気がして、会えなくなるじゃないかと思うと寂しい。 ひとりじゃ何も出来ないお父さんの面倒を子供達が見ないといけなくなる。 そんな事、言ってたな。 母が私に教えてくれた事でずっとわから...

看取りに寄り添う

2023年11月14日 20時15分 愛猫の大我が息を引き取った。 2005年6月 東京都府中市押立公園で保護。 どんな時も側にいてくれてありがとう。

杓子定規と臨機応変

母が私によく、始めた事は最後までちゃんとやりなさいと言った。 仲間が、ことちゃん何でそんなに真面目なんと言った。 すると母が、琴絵ちゃんもっと応用(柔軟:flexible)になりなさいと言った。 若い頃、母や仲間が言っている意味が良く分からなかった。 あらから、自分が母となり孫にも恵まれ、人が生まれたり亡くなったりする瞬間を共に過して、、、 事前に指示の合った行程では業務が上手く行かない、間に合わない。 教科書や参考文献からの情報だけではトラブルも多くある。 決められたルーチンが落とし穴の事もある。 「お客さん、こんな早くからお仕事ですか?」 「はい、宇治で仕事があって、JRが遅延で...」 ざっくばらんのタクシードライバーさんは、”派遣の仕事に間に合わないかもしれない”という私の焦りを一瞬忘れさせてくれた。 「お客さん、お仕事、何してます?」 「健康診断の仕事なんです。」 「お医者さんですか?」 「いいえ、違います。私、看護師で、採血したり、血圧測ったりしてるんです。」 「あぁ、そうですか、私、先日の健診で中性脂肪が高いって言われたところなんです。」 京都駅から渋滞もあり、コミュニケーションスキルの高いドライバーさんとの会話は、記憶の残る楽しい時間となった。 「実は僕ね、東京で警視庁の管轄で働いていたんですけどね、幹部と上手く行かなくて、ある日、突然幹部から、『暴力団になれ』って言われたんです。そんなんやってられるかって辞めましたけど。そして、サービス業に転職したんです。」と、嬉しそうに話してくれた。 警察官?暴力団?そんな職業とは全く畑違いな風貌な、愛着の沸く雰囲気な紳士な方が、時間に間に合わなければならないと緊張した私を、ご自身のエピソードを語りながら和ませて下さったのです。 一流大学を出て、エリートコースで活躍された方が、人事のトラブルからライフスタイルが変わる。 そこで、自信を無くしたり自棄になったり、引き籠ったり、、、。 考え方ひとつで、ライフビジョンが変わる。 やれば出来る、出来なければもう一度チャレンジする、更に努力する、いつの間にか出来る様になる、気がつけばやりたかった事業を始める事が出来た。 行きずりの方々からの教えです。

良い記憶

 ただいま、大我、たいちゃん ニャァーオン 私のベットから声が聞こえます。 生きてて良かったと毎日思います。 今年18歳の高齢にゃんこは、私が留守にしていると、ずっとベットで寝ています。 お水もキャットフードも全く食べず、ただ寝て過ごしています。 長時間の夜勤業務で不在の時もそうです。 私は今年51歳になりましたが、両親や姉弟、夫や娘達、誰よりも長い時間を共に過ごしています。 人とは違う姿だし、表現だし、コミュニケーションだし、触れ合いだし… だけど、大切にしたいと思う気持ちは、家族と同じです。 母の看取り介護をし、医療センターから涙を流しながらの帰路、別府湾を見ながら、何度も何度も涙を拭い、私の帰りを待つ父と娘の元へ何とか笑顔で帰ったのです。 「お父さん、お母さん今日、リハビリで歩けたよ。のんちゃん、お休みの日おばあちゃんのところ一緒に行こう。」 病院の帰りに、スーパーで買い物した食材で作った料理を、父や娘が食べている姿を見て、私の事を待っていてくれる家族がいるから頑張れるんだと嬉しく思いました。 疲れた身体を、庭にいる飼い犬の永遠が癒してくれました。 虫の音や陰りのない星空が癒してくれました。 大我、いつも側にいてくれてありがとう。

ママのお仕事

今日のラパ担、早く終わって良かった。 みっちゃん、保育園のお迎え間に合うから、園バス送迎いらない、いつもありがとう。 藤井君お疲れさん、明日は側側吻合するしな、 7-0 プローリン用意しといてな。 早う、迎え、行っといで。 …お疲れ様です。 はなちゃん、今日はたこ焼き屋さんに寄って帰ろうか。 今日、保育園で何して遊んだの? ピアノのお稽古に行ったよ… ママはね … あっ、病院から電話。 78歳女性パンペリ、すぐ病院来て、機械出しお願いします。 はなちゃん、ママまたお仕事行くから、つぼみ保育園行こう。 お仕事終わったら、お迎え行くから、先生とねんねしといてね。

過去 現在 未来 がループする

その時代の流行りの曲を聞いていると、過去の記憶が回想されることがある。 大抵は、思い出しても辛くはない記憶だから、昔流行った曲を何度も何度も、飽きもせずに繰り返し聴くことが出来るのだろう。 幼少期、テレビのリモコンなんて存在しない時代に、山口百恵さんやピンク・レディーさんが活躍していた。 ミーさんとケイさんの写真がプリントされた、生活雑貨や文房具があった事を覚えている。 それから、山口百恵さんが引退される際のさよならコンサートは、興味関心のなかった幼少期の私でも、記憶の中に強く残っている。 中でも、「さようならの向こう側」という曲は、歌詞の意味が良くわかっていない女子が、口遊むには似合わない?だろうけど、歌詞を自然と暗記していた。 ♪ Thank you for your kindness ♪ Thank you for your  tenderness ♪ Thank you for your smile ♪ Thank you for your love ♪ Thank you for your everything (あなたの親切・優しさ・笑顔・愛・全てに、ありがとう) 百恵さんの声のトーンや抑揚が心地よくて、真似をしてよく歌った。 それからは、松田聖子さんがアイドルとしてよくTV番組に出ていて、社会現象か、気にしていなくても自然と、曲や歌詞が身体に吸収していった。 バブル期に入った頃、マドンナさん、シンディ・ローパーさん、ホイットニー・ヒューストンさん、ダイアナ・ロスさんなどの歌をよく聴いた。 高校生時代は、邪念に負けそうになった時、バロック音楽が心地よくて、パッヘルベルのカノンを筆答に、ヴィヴァルディ、ヘンデル、リスト、バッハの曲をひとり静かに聴いた。 大人になってからは、セリーヌ・ディオンさん、サラ・ブライトマンさん、マライアキャリーさんやオールウェイズの曲を聴く事が多くなった。 合唱の歌のレッスンの時間、歌を歌う事で、これから迎える未来がわくわくどきどきして嬉しくなる時間がある。 音楽療法の時間に、声楽の先生は末期癌だとは思えない程、はつらつとして歌った。 集団生活の厳しい教育合宿で、子供達は集まって、アンジェラ・アキさんの『手紙~拝啓 十五の君へ~』を合唱した。 「さあ、みんなレクリエーション行こう!」 赤ちゃんが、会話が出来なくても、手遊び...