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大好きなお母さん

 お母さん、もう12時やから起きる。 まだ、夜中の12時です。外は真っ暗ですよ。 そう、朝の12時になったら起きる。 朝ごはん、何か食べたい物はありますか? 卵。 卵を焼きましょう。 どんな卵料理がいいですか? 卵焼き。 次は? 目玉焼き。 わかりました。私が朝ごはんを作って、起こしにきますね。 何でやな、お母さんはいいの。私が朝ごはん作るんや。 わかりました。朝になったらまた来ますね。 今夜は、お母さん役になりました。 執筆者:坂田琴絵

大切な人を呼んでます

 人が亡くなる頃、大切に思っている人の事を呼びます。 呼んでも大切な人は、側に来て寄り添ってはくれないのです。 その声は届かないのです。 ご自身の死を受け入れた時、少し辛い時間を過ごされます。 そんな時、安心できる人が側にいてくれたらと願うのは当然の事でしょう。 母が余命宣告をされて、自分の死を恐怖に感じ「琴絵ちゃん、お母さん怖い。」と言いました。 人が死ぬ前に、怖かったり悲しかったりするだなんて、とても辛い事です。 大切な人の代わりは出来なけど、少しでも気持ちが楽になって、穏やかな老後が過ごせたらと常々願っています。 介護の仕事を選んで、臨終に寄り添う時に思う事です。 執筆者:坂田琴絵

リング

 デカンタに入った赤ワインの香りと味は、場所とその日の体調や気分で変わる。 性分か高級ワインの味が良くわからない。 今夜の食卓は賑わっている。 ゲストが楽しげに食事をしている。 同じテーブル席に着いた男女は、目と目を見つめ合い、何を語り合っているのだろう。 家族の顔も見ずに、携帯操作に専念する事が、当たり前の時代になっている。 気の合う仲間同士、トークが止まらない。 そんな光景を目にしていると、自分にもそんな時があったんだと回想している。 慣れない職場での仕事で疲れ果て、帰宅してから家族の為に夕食を作るのが億劫な時は寄り道をした。 京王線乗り換え新宿駅で自分タイム。 ルミネやサザンタワーへ立ち寄り、邪念を忘れリフレッシュして帰宅した。 スタバのコーヒーかスタンドバーのサングリアかは、その日の気分だった。 京王百貨店のラスクは娘達の好物で、よく手土産にした。 夜勤明けの帰路で、京都リサーチパークに寄り道をし、デカンタに入った赤ワインを飲み干し、"夕飯は何作ろう"  だなんて考えたところで、食べてくれる人はいない。 回想や現在進行形の時間を過ごしながら、まごころこもったおもてなしの接遇を頂戴していると、破壊したマイホームを忘れている。 もてなしの計らいも自分に向き合う時間でもある。 芸を習得し芸妓として、お客様が喜んでくれる技を得た母に育てられた。 そんな母は、「勉強はお父さんに教えてもらいなさい。」と言い、"芸は身を助ける"と、歌や音楽、書写や絵の描き方や家事を日々教えてくれた。 父は、学校の勉強は100点じゃなければ頭が悪いと心配し、学習塾に通わせた。 父は勉強が出来るように、母は芸を身に付けるようにと言って聞かせた。 高校の進学面談で父は、京都に進学すると言った私を止めなかった。 「琴絵がそう決めたんじゃったらしようがなかろう。」と寂しそうに言った。 母は賛成も反対もせず「お母さんは何もしてあげられないけど、看護学校に通っている間は、琴絵ちゃんが好きな音楽を聴く事は我慢しなさい。コンポはそのうち送ってあげるから。ステレオはしばらくは我慢しなさいよ。」と言った。 あの頃によく聴いたマドンナやシンディローパーの曲は、今も聞き続け元気をもらっている。 お母さん、あの頃の大きなステレオは、今、私の耳の中に付いているんだよ。 絆の輪は、目には見えなくても...

心も技も磨きましょ

 テーブルに並んだカトラリーやプレートは綺麗でしょ。 ワイングラスはどっちに置けばいい? 時間があったら真っ白な手袋して、シルバーを磨きましょ。 「坂田さーん、ルームサービスお願いします。この後は、レストランでモーニング、ランチはオーダーバイキング入ってください。」 インカムから、どんどん指示が飛んできます。 ルームサービスでお部屋に運んだプレートからソーセージが飛び出したの。 「お客様、大変失礼しました。すぐにお取替え致します。」 お客様に背中を見せてはいけません。 後手で扉を閉めてはいけません。 学生時代、茶室の心得を茶道の先生が教えてくれました。 朝の慌しいキッチンまで、お客様がいないところは急足です。 お客様に謝罪、シェフに謝罪。 今日のモーニングの予想人数は360名です。 よろしくお願いします。 バックヤードもバッシングも大忙し。 ウェイティングでの隙間時間に緩んだ気持ちが手足に現れる。 「坂田さん、足元、気をつけて。」 休憩時間には制服が汚れていないか、ヘアメイクに乱れはないか、仲間同士でチェック。 さぁ、ディナーも頑張りましょ。 開業に向かっての仲間達とのワークを思い出しています。 ひとりで過ごす時間、テーブルに飾られた花やオプジェが見えないのです。 好きなレディグレイが、喉の渇きを満たす為だけの飲料となっているのです。 お気に入りのエリザベスアーデンが、ムカムカする香となりつつあります。 人の心は、人の気持ちは、いつも同じではありません。 荒れ果てた戦地で、仲間と笑顔で過ごせる技を身に着けたようです。 人生での自分との戦争は、一生終わらないのでしょう。 その戦時中を、いかに前向きに活動するかを、年長者様が教えてくださいました。 お婆ちゃん、眠くないのですか? なんか美味しい物、食べたいな。 今夜のお夜食は何にしましょうかね。 今、何時? 夜中の2時ですよ。 美味しい物、食べたいな。 用意しますね。 今、何時? 夜中の2時ですよ。 嫌なことはすぐに忘れるといいのよね、お母さん。 お婆ちゃん、おやすみなさい。 執筆者:坂田琴絵

グリーフケア

腓骨骨折した母が、余命3ヶ月と宣告されました。 母は予期せぬ宣告に、不安な気持ちを目一杯私にぶつけてきました。 この日から死と向き合う事になりました。 「琴絵ちゃん、お母さん死にたくない、恐い。」と嘆き悲しみました。 不安な様子を見ていると、私までも不安な気持ちに駆られてしまいました。 大分の実家での母の看病と父の生活支援、東京に残した家族の事、離職しなければならない事、どれも気掛かりで心身共に滅入ってしまいそうでした。 そんな時、母のメンタルフォローをして下さっていた主治医の先生が、心の支えとなって下さいました。 自分が選んだ職業が、死と向き合う職業であり、グリーフケア(悲しみから回復する為の支援)は、当然な支援だと寄り添ってきました。 けれど自分の身内の事となると、全く平静を保つ事が出来なかったのです。 抑えきれない不安や悲しみの感情が、滝の様な涙となり、それまで当たり前に出来た事も困難となりました。 家族が死を迎える事、家族と離別する事、職場から離れ失職する事、重なり合った喪失感を長い年月引き摺る事となりました。 ご縁があって今、京都でグリーフケアを取り入れた介護の仕事をしています。 死と向き合う時、本人がどう死を迎えたいかは本人が決めることで、その方の寿命を第三者が決めるものではないと感じています。 母は余命3ヶ月と宣告されて、検査や手術を繰り返し5年間延命しました。 それは、母が死にたくない、生きたい、治療をすると自分で決めたからです。 諦めたら検査も必要な治療もできずに、寿命が縮まったかもしれません。 余命宣告された時の母は、不安でいっぱいでしたが、治療する病床で支援者の皆様方に支えて頂き、不安や悲しみがどこかに行ってしまった様な穏やかな時間を過ごしていました。 グリーフケアって、そんな感じだったなと回想しています。 執筆者:坂田琴絵

助けたい

交通事故 腎損傷 開腹オペするから機械出ししてくれるか えっ、はじめてなんだけど ドキドキ わかりました お願いします 藤井くん頼むよ メス、コッヘル、電メス、尖刃刀、開創器 、、、、、、、、、、、、、、、 深いな 腎臓見えたぞ メッツェン 後腹膜から剥離するか 藤井君、長鑷子ちょうだい 次、ツッペルつけて あっ、 吸引 急いで 先生、血圧50台です 輸液全開にして 出血量いくら? 400です MAP手配して 腎動脈の損傷やな あ…摘出するか ブルドッグ出して VF 除細動器チャージ 看護師さん、僕、医者になろうと思います 執筆者:坂田琴絵

ぼくのはなしをきいて

おとうさんがおおきなこえでぼくのことをおこった おとうさんがぼくのことをこわがらせた おとうさんがぼくのことをおおきなてでたたいた おとうさんがぼくのことをおおきなあしでふみつけた おとうさんがぼくのからだをゆかになげつけた おとさんがぼくのことをあついおゆにつけた おとさんがぼくのことをゆきのふってるひにはだしでそとにだしていえにいれてくれなかった ぼくはただおとうさんとあそびたかっただけなんだよ おとうさんはおかあさんにもおなじことしていた すこしおおきくなったぼくはけいむしょにいるおとうさんにおてがみをかけるようになった おとうさんからおてがみがとどいた おとうさんがぼくのはなしをきいてくれるようになった じょじょより 執筆者:坂田琴絵