グリーフケア

腓骨骨折した母が、余命3ヶ月と宣告されました。

母は予期せぬ宣告に、不安な気持ちを目一杯私にぶつけてきました。

この日から死と向き合う事になりました。

「琴絵ちゃん、お母さん死にたくない、恐い。」と嘆き悲しみました。

不安な様子を見ていると、私までも不安な気持ちに駆られてしまいました。

大分の実家での母の看病と父の生活支援、東京に残した家族の事、離職しなければならない事、どれも気掛かりで心身共に滅入ってしまいそうでした。

そんな時、母のメンタルフォローをして下さっていた主治医の先生が、心の支えとなって下さいました。

自分が選んだ職業が、死と向き合う職業であり、グリーフケア(悲しみから回復する為の支援)は、当然な支援だと寄り添ってきました。

けれど自分の身内の事となると、全く平静を保つ事が出来なかったのです。

抑えきれない不安や悲しみの感情が、滝の様な涙となり、それまで当たり前に出来た事も困難となりました。

家族が死を迎える事、家族と離別する事、職場から離れ失職する事、重なり合った喪失感を長い年月引き摺る事となりました。

ご縁があって今、京都でグリーフケアを取り入れた介護の仕事をしています。

死と向き合う時、本人がどう死を迎えたいかは本人が決めることで、その方の寿命を第三者が決めるものではないと感じています。

母は余命3ヶ月と宣告されて、検査や手術を繰り返し5年間延命しました。

それは、母が死にたくない、生きたい、治療をすると自分で決めたからです。

諦めたら検査も必要な治療もできずに、寿命が縮まったかもしれません。

余命宣告された時の母は、不安でいっぱいでしたが、治療する病床で支援者の皆様方に支えて頂き、不安や悲しみがどこかに行ってしまった様な穏やかな時間を過ごしていました。

グリーフケアって、そんな感じだったなと回想しています。

執筆者:坂田琴絵


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