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助けてください

 お母さん、ドライブしよう。 〇〇さん、お天気もいいからお散歩に行きましょうか。 坂田さん、近くのパン屋さんまでお散歩に行きましょう。安定剤は飲まなくていいですか? 坂田さん、薬飲まないと退院出来ませんよ。 坂田さん、約束の時間に帰って来なければ、点滴をします。 執筆を躊躇する時間は、フラッシュバックが起きているんだよ。

みんな家族

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自由にひとりで歩けるようになった子が 玄関からソファーに駆け寄り 「にゃぁにゃぁ?」 指差すその先に、愛猫の大我はいない。 「ひなちゃん、もう、にゃぁにゃぁいないの。」 「ひなちゃん、たいが、ここにいるよ。」 小さな骨壷に入った大我の亡骸を見て 「………。」 おばあちゃんのおうちにいて当たり前のにゃんこがいない…。 「お母さん、大我、居なくなって、寂しいね。」 華ちゃんが南白小学校の時、同級生が近くの公園で保護した子猫が飼えないからって、引き取って里親になったんだよね。 のんちゃんもまだ2才で、きょうだいみたいに育って。 お母さん。男の子が生まれたら大我って名前にしたくて…。 華が、生まれた時は、じょじょがいて じょじょが側にいたら、すぐに泣きやんだ。 はいはい出来るようになったら、じょじょのこと、追いかけて遊んでたよね。 はなちゃん、じょじょが好きで、ぎゅーぎゅーってして、じょじょ、おとなしく寝転んでたんだよ。 はなちゃんと、じょじょと、ハムスターのあっちちゃんとそっちちゃんと、いつも一緒に遊んでたよね。 大我も、のんちゃんには優しかったよね。 きっと、妹って思ってたのかな。 「お母さん、もう猫、飼わないの?」 「………。」 お母さん、ひとりぼっちになるって、こんな気持ちなんだね。

心身共に元気な秘訣

私は大分県国東市の瀬戸内海で、18才まで慌てず焦らず気ままに育ちました。 エリートな姉とエンジニアの長男との間の二女で、大して褒められもせず、大した事もできず、大して慕われるもせず、ただ今の自分を想像しながら、興味関心のある事を前向きに行ってきました。 勉強よりは、滑走路の見える海岸で磯遊びをしたり、草花を見つけては積んできて飾ってみたり、おままごとの材料にしてみたり… 草や花から搾り汁を採取して、お絵描きしたりして。 蝶々がよく側にいましたから、ちょっと鱗粉をいただいてキャンバスに載せました。 紋様が、綺麗だなぁといつも思っていましたが、思い返せば随分酷い事をしたかな。 そんな頃、三毛猫のミーケが私の側で、機嫌良く虫や蛇を追いかけて遊んでいました。 三毛猫って、狩がとっても上手なんです。 とっても可愛いにゃんこでした。 だけど、野良犬に噛み殺されてしまいました。 それから私は、犬が好きではありません。 当時よく流行りのローラースケートを、一緒にした同級生がいました。 学校帰りに「ことえちゃん一緒にローラースケートしよう。」って誘ってくれました。 「ランドセル置いて来るから待ってて。」と伝えると、自宅の玄関で父から「ことちゃん、宿題をしちから(済ませてから)遊びに行きよ。」と言われました。 同級生の家に行った時は、同級生のお母さんから、「遊ぶ前にピアノのお稽古してから、漢字の練習をしてから」と教わりました。 遊びに夢中になった時、ちょっと休憩しようと大人が、手作りのおやつを一緒に作ろうと時間を取ってくれました。 私は、ピアノ教室には通っていませんが、遊びの中にバイエルのレッスンと字の練習がありました。 音楽を聴き、字を集中して書く事で、目的から外れた雑念を考えず、目標を見失わずにすんだのかも知れません。 実際の書道教室は、正座が辛くて落ち着いて字が書けなかったのですが。 絵や字を書いたり、物作りをしている時間は、必要のない事を考えずにすみました。出来上がれば嬉しかったので、何かしらの活動をしていて、母に落ち着きのない子とも言われました。 だけど母だけはそんな私をよく褒め、「琴絵ちゃん、渡り蟹があるからカニでサラダをしよう。車海老があるからエビフライをしよう。椎茸があるから茶碗蒸しをしよう。」と勉強よりも、手伝いに専念させていました。 父は勉強が出来んと悪い、成績が悪...

事実は小説よりも奇なり

「その節はお世話になりました。仕事は順調なの?」 「新しい仕事も頑張ってるところなんだ。そう言えば此間、西京都に挨拶へ行って来たんだ。」 「懐かしいなぁ、2003年に辞めて以来で京都を離れて、職員とも交流ないしな。○○先生どうしてるんだろう。」 「学会で会ったよ。相変わらず元気そうにしてたよ。ことちゃんは最近どうしてるの?」 「母の治療も少し落ち着いたから、大分の実家と東京での仕事を行ったり来たり。時々、華の様子伺いに京都行って出稼ぎ労働してるくらいかな。」 「変わらず、頑張ってるんやね。最近、ボランティアで埼玉に行ってるんや。」 「忙しいだろうに、何してるの?私もボランティア活動で、故郷の子供たちの環境教育のキャンプに付き添ってんの。両親の介護と、娘が学区外で母校の小学校にお世話になってるから。少しでも恩返しが出来たら嬉しいし。」 「そうなんだ・・・。明日、息子が遊びに来るんだ。」 「楽しみだね。出稼ぎナースに協力してくれてありがとう。」 こんな会話をしたのは、2015年の頃。 あの頃、バラバラになりそうな家族を離れないように尽力した。 今日は2023年12月6日。 本当に家族がバラバラになって、単身生活を送るだなんて、全く考えていなかった。 子育てが一段落したら、妻が大好きな夫と趣味の旅行や映画鑑賞をゆっくり出来ると信じて頑張って来た。 人生って、理想と現実は違うんだと痛感している。 傷んだハートは、私なりに治療してます。先生! 回想もまだ辛いな、、、。続きはまたにしよう。

素直な気持ち

「お疲れ様です。あれ、まだいたの?『今日、主人が迎えに来てくれるから待ってるの。』また一緒に食事しましょうよ。『お勧めのワインがあるから是非遊びに来て、楽しみにしてるね。』」 仕事が終わり、急いで帰る理由もなければ何ら当てもなく、疲れた身体と空腹を満たす為の欲求だけで、気ままに歩き立ち寄る行先は... 三つ子の魂百までか、その地で食べて育った味がほっとする。 国東の新鮮な食材で調理された野菜や魚介類。 もぎたての果物は、最高のデザート。 ご近所付き合いの物々交換で、食品ロスを減らすのは当たり前。 今夜のお夕飯はプチプラ食材で気分は贅沢です。 いつも疲れた私に美味しいごはんを作って下さっている調理のプロフェッショナルさんに感謝しています。 秋の夜長の頃、空を見上げればついつい写真に収めたくなるキレイな夜空。 自宅の玄関を開ける時は複雑な思いで、ただ身体を清め休息をしなければと帰宅するばかりで。 いつの日から、こんな嬉しくない帰宅になったんだろう... さくら、さくちゃ~ん、たいが、たいちゃ~ん、いない、私の娘たちもいない、パパもいない。あれ?私ひとり暮らしだったんだ。 ひとりぼっちの誰もいない空間... 思い出さなくてもいい記憶が、疲れた身体を襲ってくる。 何故、私を監禁拘束部屋に隔離したの? 私、精神病じゃない。 脳内に異常なんてないし、脳の検査なんて必要ない。 身体のどこも悪くないし、健康診断でもなんら問題はない。 私を病人扱いにしないで。 私はあなたに、今私の身の上に起きている事実を伝えているだけ。 非常事態をどんなに説明しても、あなたは事実を捻じ曲げて交差交流ばかり。 即興劇が逸脱行動と認識され更なるサイコドラマへと展開するとは... 心的外傷からのフラッシュバックと日々向き合い、自己分析から精神分析療法で、明日の活動が有意義な時間となればいいななんて、涙の混じった化粧水をぬっています。 母が家庭不和で悲しい時間を過ごしていた時、社会人になった私は、簡単に「別れたら」なんて言った事があった。 母は、お父さんと離れたら子供達が帰ってくる家がなくなる。 子供達がお母さんに会いに来なくなる気がして、会えなくなるじゃないかと思うと寂しい。 ひとりじゃ何も出来ないお父さんの面倒を子供達が見ないといけなくなる。 そんな事、言ってたな。 母が私に教えてくれた事でずっとわから...

看取りに寄り添う

2023年11月14日 20時15分 愛猫の大我が息を引き取った。 2005年6月 東京都府中市押立公園で保護。 どんな時も側にいてくれてありがとう。

杓子定規と臨機応変

母が私によく、始めた事は最後までちゃんとやりなさいと言った。 仲間が、ことちゃん何でそんなに真面目なんと言った。 すると母が、琴絵ちゃんもっと応用(柔軟:flexible)になりなさいと言った。 若い頃、母や仲間が言っている意味が良く分からなかった。 あらから、自分が母となり孫にも恵まれ、人が生まれたり亡くなったりする瞬間を共に過して、、、 事前に指示の合った行程では業務が上手く行かない、間に合わない。 教科書や参考文献からの情報だけではトラブルも多くある。 決められたルーチンが落とし穴の事もある。 「お客さん、こんな早くからお仕事ですか?」 「はい、宇治で仕事があって、JRが遅延で...」 ざっくばらんのタクシードライバーさんは、”派遣の仕事に間に合わないかもしれない”という私の焦りを一瞬忘れさせてくれた。 「お客さん、お仕事、何してます?」 「健康診断の仕事なんです。」 「お医者さんですか?」 「いいえ、違います。私、看護師で、採血したり、血圧測ったりしてるんです。」 「あぁ、そうですか、私、先日の健診で中性脂肪が高いって言われたところなんです。」 京都駅から渋滞もあり、コミュニケーションスキルの高いドライバーさんとの会話は、記憶の残る楽しい時間となった。 「実は僕ね、東京で警視庁の管轄で働いていたんですけどね、幹部と上手く行かなくて、ある日、突然幹部から、『暴力団になれ』って言われたんです。そんなんやってられるかって辞めましたけど。そして、サービス業に転職したんです。」と、嬉しそうに話してくれた。 警察官?暴力団?そんな職業とは全く畑違いな風貌な、愛着の沸く雰囲気な紳士な方が、時間に間に合わなければならないと緊張した私を、ご自身のエピソードを語りながら和ませて下さったのです。 一流大学を出て、エリートコースで活躍された方が、人事のトラブルからライフスタイルが変わる。 そこで、自信を無くしたり自棄になったり、引き籠ったり、、、。 考え方ひとつで、ライフビジョンが変わる。 やれば出来る、出来なければもう一度チャレンジする、更に努力する、いつの間にか出来る様になる、気がつけばやりたかった事業を始める事が出来た。 行きずりの方々からの教えです。