心身共に元気な秘訣
私は大分県国東市の瀬戸内海で、18才まで慌てず焦らず気ままに育ちました。
エリートな姉とエンジニアの長男との間の二女で、大して褒められもせず、大した事もできず、大して慕われるもせず、ただ今の自分を想像しながら、興味関心のある事を前向きに行ってきました。
勉強よりは、滑走路の見える海岸で磯遊びをしたり、草花を見つけては積んできて飾ってみたり、おままごとの材料にしてみたり…
草や花から搾り汁を採取して、お絵描きしたりして。
蝶々がよく側にいましたから、ちょっと鱗粉をいただいてキャンバスに載せました。
紋様が、綺麗だなぁといつも思っていましたが、思い返せば随分酷い事をしたかな。
そんな頃、三毛猫のミーケが私の側で、機嫌良く虫や蛇を追いかけて遊んでいました。
三毛猫って、狩がとっても上手なんです。
とっても可愛いにゃんこでした。
だけど、野良犬に噛み殺されてしまいました。
それから私は、犬が好きではありません。
当時よく流行りのローラースケートを、一緒にした同級生がいました。
学校帰りに「ことえちゃん一緒にローラースケートしよう。」って誘ってくれました。
「ランドセル置いて来るから待ってて。」と伝えると、自宅の玄関で父から「ことちゃん、宿題をしちから(済ませてから)遊びに行きよ。」と言われました。
同級生の家に行った時は、同級生のお母さんから、「遊ぶ前にピアノのお稽古してから、漢字の練習をしてから」と教わりました。
遊びに夢中になった時、ちょっと休憩しようと大人が、手作りのおやつを一緒に作ろうと時間を取ってくれました。
私は、ピアノ教室には通っていませんが、遊びの中にバイエルのレッスンと字の練習がありました。
音楽を聴き、字を集中して書く事で、目的から外れた雑念を考えず、目標を見失わずにすんだのかも知れません。
実際の書道教室は、正座が辛くて落ち着いて字が書けなかったのですが。
絵や字を書いたり、物作りをしている時間は、必要のない事を考えずにすみました。出来上がれば嬉しかったので、何かしらの活動をしていて、母に落ち着きのない子とも言われました。
だけど母だけはそんな私をよく褒め、「琴絵ちゃん、渡り蟹があるからカニでサラダをしよう。車海老があるからエビフライをしよう。椎茸があるから茶碗蒸しをしよう。」と勉強よりも、手伝いに専念させていました。
父は勉強が出来んと悪い、成績が悪いけん塾に行きよと言い、母は勉強と同じくらいに必要な、生きる力の教養と娯楽が必要だと教えてくれました。
母は、結婚するまで芸妓をしていましたから、所作は勿論のこと、歌や踊りの良さを教えてくれました。
花柳流の日本舞踊は、そう簡単に出来るものではなく、私には必要のないものだと思っていました。
大人も子供も疲れた頃、父が「スギノイパレスに行くで。」と言いました。
大人は今の私で、飲んで食べて温泉に入って娯楽があってでした。
そんな育ちでしたから、疲れれば、娯楽と休養だと学んでいたわけです。
大分と東京と京都との生活で、どこに行っても恵まれた温泉があります。
過労やストレスから、ゲームやギャンブル依存、アルコールや薬物依存、非行や犯罪等で、現実逃避する人達も多くいます。
それらが良いか悪いかは、各自の認識次第です。
よからぬ依存症が、温泉依存症に変われば、何かヒントが得られます。
温泉の力、ぜひ試してみて下さい。
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