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安全・節約

 〔医療者の笑える話し〕と言うコミュニティーがありまして。 緊張した現場でありながらも、ちょっとしたアクシデントでその場を和ませてくれるトークがあります。私の経験からも、そんな笑えるお話しをさせていただきます。 今は殆ど目にする事はありませんが、私が新人ナースの頃はナースキャップがユニフォームの一部でした。「お疲れさま〜」と言って、私服で更衣室を出て行く同僚の頭にはナースキャップがついたままだったり、ポータブル(回診用撮影装置と言うレントゲンの機械)の依頼でポータブルトイレを用意してあったり、"メガネメガネ"と探し回るスタッフの頭にメガネのカチューシャがしてあったりと。 最近では、フェイスシールドをつけて業務に就いたものの、「ピントが合わない」「見えにくいよね」などと言っていると、"保護フィルムを剥がしてないからだよ"って、みんなが笑顔になっています。 フェイスシールドにビニールの防護服を着ていると、真冬でもスチームサウナ状態です。仲間同士で「これで痩せたらいいんですけど」なんて冗談を言いながら、皆様の健康をお守りしています。 医療の現場では安全である事と、衛生材料(医療・介護に使われる手袋・ガウン・ガーゼ等の使い捨ての資器材)の節約が重要視されています。感染リスクを避け、尚ディスポーザブルの無駄遣いをしないと言う事は、医療の現場では当たり前の事なのです。 身体に叩き込まれたこの教訓は、私生活においても当然の行いとなっています。

離れた家族との連携

弟が海外赴任をしてから、母は父と2人暮らし。あれから半年が過ぎた。 手の掛かる息子ではなく、頼りにしていた長男が居なくなった生活は、少し気が抜けた様子の母であった。 電話で話す内容は、お父さんと2人だから変わり映えしない食事のことや、神経痛が辛くて、ペット犬の永遠との散歩に出掛けられなくなったこと、庭に植えた花木の成長を楽しみにしていることであった。「お母さん、お正月にはなとのんちゃんと帰るからね。」 大分空港から程近い実家に帰省した際には、母が「最近、神経痛が酷くて洗濯物を干すときに手が挙がらんのよ。腰が凄い痛くて、台所に立ってられんのよ。」と、市販の鎮痛剤が切らせないとの内容が、気掛かりになっていた。その気掛かりが骨盤内や肺の癌を発症させていたとは、いくら悔やんでも悔やみきれなかった。 マナウスにいる弟に連絡をした。 " お母さん、足を骨折して入院してる。全身の検査をしてもらったら癌が見つかった。1日も早く手術しなければいけなくて、私、のんちゃんと大我とさくらを連れて、しばらく国東で生活する。パパには申し訳ないけど、しばらく単身赴任してもらう。お母さんどうなるか分からないから、手術の前に日本へ帰って来れる?いろいろ相談もしたいし・・・。" 弟に久しぶりに会えた母は、嬉しそうだった。

体は運動 心は静養

 体は休みがちだが、心は動かし過ぎ。 リラクゼーションを取り入れながら、健康的に身体を動かしたいと日々努力でございます。 気の合う仲間と「幾つになっても勉強ですよね。」なんて愚痴をこぼしながらも、トークが弾みます。 ★漸進的筋弛緩法について 筋肉の緊張と弛緩を意識的に繰り返し行うことにより、身体をリラックスへと導く。 疲労,憂鬱の低下。 代謝を高め、疼痛の軽減。 集中力改善、精神修養、自己肯定感の増加などの効果が期待される。 ★インターバルウォーク 早く歩く3分、ゆっくり歩く3分を15分間、繰り返し行う事で、筋力、持久力を無理なく向上させることが出来る。また、骨密度の増加や生活習慣病リスクの改善の効果がある。 ※ご興味のある方は、詳しく書かれた本やサイトがいろいろありますので、お調べください。

余命宣告

 2014年1月 ロッキングプレート固定のオペ後、リハビリも順調で、暇を持て余した母に、身体の隅々まで検査をしてもらったらと提案したのでした。採血やレントゲンは勿論のこと、CT・腹部エコーに胃カメラ・大腸ファイバー等。結果、腫瘍マーカー(CEA14.4/SCC19.9)が高値。消化器科・泌尿器科・婦人科領域の進行ガンの診断でした。余命も申告され、1日も早く手術が出来る様に連携が取られました。手術予定の医療センターへ手術前の検査に何度か足を運びました。骨折から1ヶ月半、入院治療を終えた母は、父の待つ自宅へ帰宅しました。 母の骨折の看病だけではなく、ガン治療と残された余命に寄り添うという大役を引き受けたのでした。 「お母さん、医療センターに入院するまでに、東京に帰って引っ越しの準備してくるからね。のんちゃんと大我とさくらとで引っ越しするから。パパには、空港の近くで単身赴任してもらう。私がいない間、このカレンダーに1日あった事で良かった事を書いといてね。」 フライトナースのはじまりでした。

リラクゼーション

 1日の疲れは、好きな時間を過ごす。 フジコ・ヘミングさんのラ・カンパネラを聴きながらワインをいただく。 ずっと変わらない、このスタイル。 ねぇ、ナイチンゲールの仕事入れたから飛行機のチケット取って。 大分空港から成田空港まで近いんだよね。 いつも私の仕事をサポートしてくれたあなたへ ありがとう♡

ごはんできたよ

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 母が「ことえちゃん、ごはんよ〜」って、階段の下から呼んでいたな。今は、私が「のんちゃん、ごはんよ〜」って呼んでいる。 今日は、新鮮なお魚を京都の街中で見つけましたので、好物なお刺身にしました。 舌平目は5枚おろしにしてお刺身にしました。 ほうぼうは岩塩を振って焼きました。 〈 早い簡単美味しいレシピ 〉 ・生わかめ炒め‥お好みの味付けでどうぞ!本日は、ごま油+めんつゆ+金ごまでした。 ・ヒラタケのゆずポン酢和え‥レンジで2分チンしてゆずの皮とポン酢を和えました。 ・具沢山味噌汁‥キャベツ+小松菜+トマト+ごぼう+あげ( 野菜やあげは、切って冷凍にストックしておくと入れるだけで簡単です。) ・おからパウダーとパスタのサラダ‥トッピングはゆで卵+粗挽ソーセージ+キャベツです。

ホットライン

26年前、 阪神・淡路大震災が起きました。 当時、私は二次救急の指定病院で勤務していました。名神高速道路のインターチェンジ近くで、工業地域でもあった為、外傷の患者様が来院される事が多かったです。まだ新米ナースだったので、仕事を覚えるのが必死なのと、目紛しく変わる業務に毎日ドキドキしながら勤務をしていました。救急当直はドクター1名ナース1名で、救急の患者様の診療に当たります。診察して処置や手術をしたり、入院して治療を行ったりします。二次救急の病院で対応出来ない場合は、高度な救急医療を提供出来る三次救急の指定病院へ搬送して頂きます。 今から26年前の震災の日、私は救急外来当直の勤務でした。当直明けの5時50分頃、院内が大きく揺れました。機材がガタガタと揺れ、転がったり倒れたり。薬品棚からは、点滴や注射の薬剤のアンプルやバイアルが転がり落ち散乱していました。直ぐに救急隊からのホットラインの電話が鳴り響きました。次々に怪我をされた患者様が搬送されて来るのです。外傷された方で、自力で救急外来に来られる方もいらっしゃいました。待合室は、外傷を負った患者様がお待ちです。とてもドクター1人とナース1人では追いつきません。救急隊の方が応急手当てをしてくださっていました。 一瞬にして起きた天災で、勤務体制が変わりました。地震の影響で阪神高速道路3号神戸線が倒壊し、それに伴い一般道は大渋滞、遮断されている区間もあり、神戸・大阪方面からのスタッフの勤務に支障が出ました。被災地にボランティアへ行くスタッフもいました。 震災の日、夜勤明けで自宅に戻ると、飼育していた熱帯魚が被害に合い、テレビが壊れていました。地震当日から数日間テレビを観ずに過ごし、はじめて神戸の悲惨な映像を見た時は衝撃でした。 その後、伊丹空港から飛行機に乗って大分の実家に帰省したのですが、上空から見た大阪の街は、建物の屋根にブルーシートがたくさん掛けられていました。一生忘れることのない記憶となりました。 震災で、そして震災が原因で御逝去された方々のご冥福をお祈りいたします。