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痛いよ、苦しいよ、助けて

 「弱った、困った、どうしよう。」 どうされました? 身体のどこが痛いのですか? 苦しいところはどこですか? 聞いて答えられるなら、見えない問題は簡単に解決できるのでしょう。 大抵のクライアントは、自分が何に苦しんでいるのか、どうして心を痛めているのか明確ではないのです。 「はじめまして。」とご挨拶する時に、第一印象ってとっても大切で、この瞬間にクライアントとの関わりが決まると言っても過言ではありません。 緊張した顔、悲しい顔、怖い顔、辛い顔、無表情な顔。 どんな表情であっても、それがその方の今の心の表れなのですから、丸ごと受け入れて、身体の力を抜いて主訴を聞いています。 静かに、その方の話しに耳を傾けていると、必ずその方の緊張の糸が緩んで、違う一面が見えてきます。 ほらっ、緊張した顔、悲しい顔、怖い顔、辛い顔が笑顔になったでしょ。 「ママ、お帰り。今日はくららのお仕事どうだった?」 今は亡き年長者様に感謝でございます。 執筆者:坂田琴絵

いろんな私と本当の私

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 「あらっ奥さん」なんて呼ばれることもあった。 今は「坂田さん、坂田ナース」と、呼ばれることが多い。 生まれた時は名前がなくて。 両親が素敵な名前をつけてくれて。 「ことちゃん、ことえちゃん」って、呼ばれて育った。 成長して「琴、琴絵」って、呼ばれて。 もう少し成長して「藤井くん、藤井ナース」って、呼ばれて。 そのうち「ママ、お母さん」って、呼ばれて。 子育てしてると「はなちゃんママ、かのんちゃんママ」って、呼ばれて。 はじめましてで「奥さま」と、呼ばれて。 気がついたら「おばあちゃん」なんて、呼ばれてた。 気の合う仲間との職場で、同じ年頃の同僚と「お婆ちゃんになったらお世話してくださいね。」 「私をお世話してくださいよ。」 「お互いにお世話しあったりして、看護師だからうるさいのよ。」 「老々介護ですね。」 なんて話しをしていると、老後の心配も楽しい計画となるのです。 残業で遅くなった帰路のバスの中は、ゆりかごのようで眠りを誘います。 終点に着いたら、運転手さんが「お客さん、終点ですよ。」と、声を掛けてくれることもあります。 桂坂のバス停で下車して、ほんの少しの距離を歩く足取りが重く感じます。 誰も待っていない家へ帰るって、こんな気持ちなんだと、つくづく感じます。 玄関のドアを開けると「たいが、さくら」と、心の声が漏れてきます。 「ママ、お土産は?」 「ママ、ごはんできてるよ。」って、家族の声が聞こえてきそうです。 蛍光灯の音だけが聞こえてきます。 今夜は、作り置きしたおばんざいをお供に、薔薇の花びらが彩るワインで余暇を過ごしました。 ネット配信の動画を見てひとりで、笑ったり、泣いたり、感動したりしています。 冷えた身体を暖かなお湯で温めて、スローテンポのメロディーに耳を傾けていたら、今朝、目覚めてから緊張していた自分が、楽チンな自分に変わっています。 照明を落とした空間で、1日を振り返ります。 そして、明日のスケジュールを確認します。 翌朝、予定通りに目覚めて、"元気に出掛けることが出来れば良し"としています。 ひとり暮らし、52才のライダーおばあちゃんは、セラピストナースでした。 いつかどこかでお会いできる日を楽しみにしています。 執筆者: 坂田琴絵         本日の夕食

御心のままに

死期を悟った年長者様が、自ら食べることを辞めました。 身体が徐々に衰弱していきました。 「死にたいです。葬儀の準備をしてください。」と言いました。 とても複雑な心境なのです。 人の死に向き合って寄り添っていると、そんな気持ちになります。 気がつけば心が疲れ果てている事があります。 暗がりの通勤路を歩いて帰りました。 街路樹の落葉樹がライトアップされていて、とても綺麗だなと思いました。 思いのままに心のアトリエに納めました。 振り返れば、心のアトリエが物語りに変わっているのです。 ワイングラス越しに見た先生の笑顔が忘れられません。 ご迷惑をお祈りします。 執筆者:坂田琴絵

母を護るために

 城下町杵築市で生まれ育ち、戦争で実母を亡くし養女となった。 戦後の物のない時代は、遊ぶ時間より学業と家業の手伝いに没頭した。 継母から厳しい教育を受けたことが、大人になった母の心を苦しめていたのだろう。 受け入れがたい抑圧された学童期を過ごし、やりたかったお稽古事を身に付けるために故郷を後にした。 高度経済成長期に良き仲間に恵まれ、 ”芸は身を助く” と名古屋で花柳流の舞踊の芸を身につけ、芸妓としておもてなしを職業としていた。 三十路近くになって、養子となった両親から大分に帰って結婚をする様に説得された。 当時、国東の大所帯の地主で、マグロ漁船に乗り漁師を志願した、坊ちゃん育ちの父と母はお見合いをした。 芸妓上がりで養女というだけで、母は祖母や叔父叔母から邪険に扱われていた。 親兄弟に散々小言を言われ帰宅した父は、母に冷たく当たった。 アル中男が父の留守中に家へ上がり込んでは、母に罵声と暴力でストレスを発散していた。 誰もその現実を改善しようだなんて思わなったのだろう。 ”長い物には巻かれろ” 弱い者は強い者の味方になる。 家族が寝静まった茶の間で、母が泣いて過ごしている様子を鮮明に覚えている。 疲弊する母の背中を見て育った。 母は何があっても寝込むことなく、翌朝にはお味噌汁を作って「ちゃんとご飯を食べないと勉強が出来ないから、少しでもいいから食べなさい。」と学校へ送り出してくれた。 体調が良くないときは、このお茶を飲むと調子が良くなると、漢方のお茶(ハーブティ)を飲んでいた。 坊ちゃん気質の父はお人好しで、言われるままに騙されて保証人になり、多額の借金を負った。 サラ金屋からの電話で、居留守中の父はいないと伝えると「お嬢ちゃん、お父さんにお金払うように言うといて。」とドスの効いた声で伝言を聞いた。 時には自宅まで押し掛けたチンピラ風のサラ金屋のおっさんが、家に上がり込んでは返済を要求した。 「ねぇ物はねぇんじゃ。」と、父はサラ金屋に焼酎をぶちまけていた。 怯んだチンピラ風のサラ金屋は二度と来なかった。 自分が見た情景が、コントの様なワンシーンの連続であり、非日常過ぎて誰にも話せずに大人になった。 豊後水道での捕獲量も少なくなり、船頭や船乗りで手伝ってくれた仲間も離れ、母は家計を助ける為に昼夜と働いた。 そんな環境の中でプラスの贅沢など出来るはずもなく、学...

遠回り

 開業をすれば経営者となる。 組織作りの雇主となるからには、プロでも素人でも、障害を抱えた人でも、雇用した人材を守らなければならない。 共に働く人材は、一律で各々の良さを引き出し伸ばし、目標が達成出来ればいいと思っている。 セラピスト達の連携で、就労支援施設でビジネスコーチングのトレーニングをした。 仲間が故郷のマスコットキャラクターさ吉くんの作品を作ってくれた。 自分のお店が持ちたいと思ったのは、高校生の時。 地元でとれた海の幸、山の幸、大地の幸をシェアしながら、美味しく感謝していただく。 身近な大人達が教えてくれた。 国東のアルバイト先の店主が教えてくれた料理やおもてなしで、お客さんがこんなに喜んでくれるんだと嬉しく思った。 頑張って食材の下ごしらえをした。 頑張ってお座敷の片付けをし洗い物をした。 手や指がひび割れて血が馴染んで、痛くて鉛筆が持てないくらいな時期もあった。 会席料理や懐石料理の盛り付けが出来たら嬉しかった。 作る事が楽しくて、誰かに食べてもらえて喜んでもらえたら嬉しくて。 茶事の懐石もそんな楽しみひとつ。 小料理屋琴絵を作るって家族に言って、その夢に向かって、職業訓練の道を選んだ。 調布のレストランで、国東とは違う回転の早い接客を学んだ。 故郷の料亭やホテルで本膳を学び、いつか、故郷で、関東や関西のお客様を招いておもてなしが出来たらいいなって考えていると、両親の介護にも張り合いが出た。 今、荒れた生活空間で、私はいったい何に向き合っているのだろう… 執筆者:坂田琴絵

軽んじている人

 あなたの話しは聞いていない。 あなたのことが気にいらない。 頭の悪い人。 みんなに嫌われている。 仲間外れにすればいい。 身近にいる人がこんな声掛けをしていたら… そんな声掛けに共感する事ができないのです。 だから仲間外れに合うのでしょうか? 仲間外れにあって辛い思いをするから、引きこもりになるのでしょうか? ひとりぼっちになったから孤独死するのでしょうか? ・・・・・・・・・・・・・・。 助けたいと思いました。 側にいたら笑顔でいてくれたのです。 とっても嬉しかったのです。 人は必ず死にます。 人は死ぬ前に多くのモノをなくします。 人は死ぬ前に恐怖に苛まれます。 そんな時の気持ちの表現方法は、人それぞれです。 第三者にその感情をぶつけます。 ぶつけられなくて殻に閉じこもる事もあります。 薬で感情を殺さないで下さい。 感情って素敵な作品になるんですよ。 残された時間を安楽に穏やかに過ごせたら、、、 ただそう思って、向き合って寄り添っているだけなのです。 選んだ道が死に向き合う事でした。 「うちはな、何でもひとりでやって来たんや、あんたも頑張らなあかんえ。」 そう教えてくださった人生の先輩がいました。 今は亡き年長者様に感謝でございます。 ご冥福をお祈りします。 執筆者:坂田琴絵

恋愛とビジネスはイコールにはならない

 同じ釜の飯を食う仲間 共に学び共に共感した 喜怒哀楽の感情も遠慮なく 過ごした時間が財産だった ビジネスへと変わった 恋愛話しは一切していない 子供の頃から描いてきた自分像 目標に向かう自分がいる 家族や仲間達が支えてくれた 壊れたものや無くしたもの 枝分かれした道を歩いている いつか約束した道が交わりますように 執筆者:坂田琴絵