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白檀の香り

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「 お母さん、やっぱりラムネがいい。」 娘が受験に向けてがんばっている姿を見ていると、おつかいも楽しい。 休息の場にお気に入りの香り。 華やかな香りに包まれた日常が送れるって、幸せだと感じる。 今夜は白檀の香り。 私のお香遊びは、華やかな音とともに私の身体が聞いている。 やっぱり、フジ子・ヘミングのピアノ曲が心地よい。 スケジュールの中に静養日を作る。 それがわたしのスタイル。 今度のお休みは、何をしようかな… 「のんちゃん、おかえり。ラムネ買ってきたよ。」

先生、教えてください

「ねえぇ、今度のランチどこにする?」 「スクールの帰りにメトロポリタン辺りでもいいよね。」 「サザンタワーで、和食がいいな。」 「やっぱり、ブリックスクエアにしよう。」 そんな時を経て・・・ 先生は、いつも私達の話しを真剣に聞いてくれた。 「先生は悩みがある時、誰に聞いてもらうんですか?」 仲間の質問に 「誰かに話しを聞いてもらいたくなったら、山に行くよ。」 この名言を鮮明に覚えています。 先生が教えてくれた教訓が、私を元気にしてくれています。 悩みやストレスがあったら、山に行ったり海に行ったりするって、何よりの療法なんですね、先生!

イメージトレーニング

天災や人災である災害、不幸をもたらす災難は、人の穏やかな日常を不穏にしてしまいます。 不平不満愚痴といった感情が次々と芽生えてきます。 それは誰しもが抱く感情であり、当たり前だと思っています。 だけど、そんな感情が長く続くと身体に不調を来します。 不穏な状況に立ち向かう前に、私が隙間時間でよく行っている事があります。 五感を意識して、好きな映像、好きな香り、好きな音、好きな味、触れるとほっとできるモノ。 ただ目を閉じて、心地よい状況をイメージしているだけなんです。 どんな戦場であれ、命があればその命が続く限り、ハッピーに過ごしたいものです。

ドラックロックの落とし穴

 心理テストが終わった。 精神病棟で過ごす私、作業療法で作る作品。 全てが診断の評価となる。 「薬物療法主体ではなくて、精神療法を中心にしていきましょう。」 医療保護入院中の身、法に定められた入院形態を維持しなければならない。 私は、フレンドリーな関係の患者さまに本当のことを話せずにいた。 女子部屋では、年齢も価値観も全く違う人達が共通の話題でトークが盛り上がった。 大抵は愚痴の聞き役が多かったが、これまでになかった世界で、まるで実習病院に来ているのかと錯覚を起こしそうだった。 山登りがお好きな患者さまが、よく私の精神面を気遣ってくださり、「ことちゃん、〇〇があるよ。」などと親切に声を掛けてくれた。 みんなで体操やアクティビティをしたり、セラピーしたり、グループワークしたり…。 家族から離れて、孤立していた私を救ってくれたのは、心理療法と患者さまだった。 「薬を飲まなければ退院させない。」と言ったのは誰? そんな嘘の様な本当の話しが、私の入院生活を長引かせた。 執筆者:坂田琴絵  

1日を終える時間は

 朝、起きたら、その日の活動に合わせて体調管理をする。 1日のエネルギーは、私の口から入った食品達が支えてくれている。 毎日、活動を終えた後のひと時が楽しみだ。 帰路、フジ子・ヘミングの演奏を聴き疲れた頭がほぐれる。 今夜は遅いから、デザートワインと軽食で。 ナイアガラは、子供の頃に毎年食べたデラウェアの香りが懐かしい。 ワインのあては、ルビー。 母がよく、はっさくや夏みかんを剥いて、「美味しいから食べなさい」と、シュガーをかけて出してくれた。 今は、娘に同じことを言っている。 明日は、ザビエルが飲みたいな…。

遊びはアート

「まるくして。」 「はい、どうぞ。」 「せんせい、ドラえもんつくる。」 「上手にできたね。」  フローリングの床に色とりどりのシルキーサンドが落ちて行く。 「諭吉くん、ねんど落とし遊びだね。」 そこはキャンパスで、諭吉は自らデザインした大小様々な造形を表現してくれた。 固くなった粘土は霧吹きをし、こねて柔らかくする。 華絵は「せんせい、ねんどやわらかくして。」と好きなカラーの粘土を渡した。 「諭吉くん、霧吹き貸して。」 「いやっ」 「かーしーてー」 「いやー」 諭吉はフローリングに霧吹きをはじめた。 床に広がった諭吉アートは、素敵な造形美となった。 「さぁ、お片付けしようね。」 自由に遊んだ諭吉は、積極的に色分けして粘土をしまい、濡れた床を姉の華絵と拭いている。 「もう、ゆきちくんったら…。」 面倒見の良い華絵は、諭吉をいつもサポートしている。 子供達の遊びを通して、私は多くの学びをいただいています。 子供達と過ごす中で、養育とは遊戯療法であり、そこからお片付けや掃除を学びます。 私にできる事は、危険がないように見守り仲間を傷つけません様にと案じているのです。

お母さんが泣いている

 「お母さん、入院してからの面会についてどうする?」 子供の頃に見た母は、眉間にシワを寄せたり、誰も居ない部屋で泣いている姿でした。 母の独身時代のアルバムを見ると、友人や職場の仲間達と楽しそうに笑顔で写真に映っていました。 旅行先での様子や、三味線、花柳流の舞台の様子など、着物姿の母はどれも綺麗でした。 当時のファッションを見てもとても華やかでしたが、私が子供の頃の母は、化粧もせずに日常の家事に追われて子育てをしている母でした。 「お母さん、何でお化粧しないの?」と聞いたことがあります。 「お嫁にきてお化粧してたけど、こんな田舎で化粧しち、何処に行くんかえって言われたから辞めた。」と、そんな環境に不満そうでした。 父以外の周りの大人が、母にDVをしたり、母の居ないところでネガティブな発言ばかりしているのをよく聞いていました。 母は、嫁いびりにあっていました。 精神的に追い詰められた母は、うつ病となりよく体調不良を訴えていました。 周りの大人達がどんなに母を悪く言っても、母はいつも気丈でしたし、食事の大切さや作法をきちんと教えてくれました。時には、楽器を通して音楽の楽しみ方や着物の着方、日本舞踊の舞を教えてくれました。また、植物や動物を育てる喜びも教え続けてくれました。 そんな母がずっと笑顔でいてくれたら、娘の私は幸せでしたから、側にいていつも母の話しを聞くことが安心できる何よりの方法でした。 過渡期で道に迷った私を、母が担任の先生と一緒にそっと、正しい方向に進めるようにナビゲーションしてくれました。だから、今の自分がいるのだと言い尽くせないほど感謝しています。 「ことえちゃん、お母さん誰にも会いたくないわ。」 終末期、末期癌の治療で母はそんな大人達に会いたくないといい、それから面会謝絶の日がはじまったのです。