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スリーピングビューティー

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 冬の間、硬く小さな蕾だったハナミズキの花が、日に日に開花している光景を目にしています。 花びらは4枚。 だけど… いろんなカラーが集まると 華やかなイマジネーションに変わります。 空を見上げ、素敵な時間を過ごしたら、 きっと新しい道が開けるよ。 ※写真はインターネットから引用させていただきました。

笑顔

大きな声で、不穏な表情です。 「助けて〜。弱った、困った、どうしよう。」 車椅子にお座りの年長者様が言いました。  「どうされました?」 「動けない。あー弱った。どうしよう。困った。」 年長者様は、これまでご自身で出来ていたことが出来なくなり、途方に暮れているのです。 「〇〇さんは、これまで沢山ご活躍されてきました。今はお身体を労り、少しゆっくりとお過ごしください。お困りのことはお手伝いさせていただきます。」 「そうか。」 すると、パッと笑顔になるのです。 「兄弟仲良く親孝行。」 そう言って、何度も何度も私に教訓を教えて下さるのでした。

現実逃避

セーラー服を着る前に派閥にあった。 信頼していた仲間が仲違いを起こし、仲裁に入った事が原因である。 あっと言う間にグループができ、いつの日か私はクラスの女子グループから外された。 トイレの前で待ち伏せした女子グループの中心となる子は「帰りに話しがあるから体育館に来て。」と告げた。 怖かった。逃げたかった。帰りたかった。 数人の女子に囲まれて、恐怖で何を言われたのか覚えていない。 派閥はエスカレートした。 学校が嫌いになる。 勉強どころじゃない。 両親に話せる訳がない。 担任の先生に「お腹が痛いから保健室に行かせてください。」と訴える。 先生は冷たかった。 先生が嫌いになる。 過換気症候群で倒れた。 原因不明と言う曖昧な診断で入院した。 大人達は、不祥事を知りながらも知らんぷり。 無視し続けた女子がマスコットを作り、見舞いに来た。 嬉しかった。 だけど、心の傷は治らない。 仲間はずれやいじめは、いじめられる側にも問題があるのかもしれない。 だけど私は、何も恥じる生き方はしていない。 一人、独り、孤り。 ひとりで居る時間の方が幸せなこともある。 気ままに歩く道。 行きずりの人達がもたらしてくれる幸福。 「ありがとうございます。」 いつも助けてくださる方々へ、感謝の気持ちでいっぱいです。 パステルカラーのコートを脱ぎ、小鳥のさえずりやSLの汽笛を聞きながら、目の前にいる未来ある命を我が身に置き変えて。 シロツメグサ・イヌムギ・セイヨウタンポポ の上を元気に走り廻る子供達。 優しいママの母掛け。 気遣うパパ。 そんな穏やかな時があったんだ。 列車の車輪が線路を擦る音。 お弁当を囲む家族に近づく翼を大きく広げたトビ。 「あっ、お弁当が・・・。」 南東の風が、サトザクラやソメイヨシノの花びらを運び、緑色のじゅうたんはあっという間に薄桃色のステージとなった。

春爛漫

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「今日は、暖かいですよね。」 そんな会話をしている日常となりました。 暗い部屋に灯りをつけカーテンを開け、お弁当と朝食を作り、今日も誰かの為にお役に立てるなら、嬉しく思います。 お気に入りの本を鞄に入れ、行ってきます。 仕事が早く終われば、咲き誇る花を求め足取りも軽やかに。 太陽と北風の物語り 太陽は人の心を解放してくれます。 引きこもりなんて、もったいない。 みんな、出ておいで! 鴨川のつくしも元気に出てきています。 桜の塩漬けを浮かべた焼酎のお湯割りは ちょっぴり大人の味かしら?

介護日誌⑤

 2014年1月13日月曜日  スカイブルーの晴天・聖夜 起床してゴミ捨てに行った。 お父さん起きてこなくてちょっと心配。 8時過ぎ 「よう寝た。5時に目が覚めちまた寝入ったんじゃ。」 父は、いつものラジオ体操をしてから、モコモコの上着を重ねリラックマみたいになってお決まりの散歩(ウォーキング)に出掛けた。 父が戻ってくるまでに朝食を作ろう。 今日は、じゃがいもの味噌汁、旨く出来た! さぁ、洗濯。お天気良いから衣類とシーツ洗って、お風呂掃除。 「お父さん、お風呂の窓開けて換気してくれてる。」 ほっと一息。知らぬ間にウトウト寝てしまう。 お父さん何してる? 「ことちゃん、端を持っちょくれ。」 自分用の寝具のメンテナンスで、シーツと毛布を木綿糸で縫い付けている。 父はとても几帳面で、お裁縫は得意な方。 「お父さん、お昼ご飯、親子丼でいい?」 私は、昨夜の残りの大根と黒豆でいいか。 名古屋の叔父さんから、長女に大学の入学祝いが届いていて、お礼の電話をする。 「おじちゃん、入学祝いありがとう・・・。お母さん、足を骨折して手術したの・・・。」 「お姉ちゃんによろしく伝えて・・・。」 母には、たった一人の弟がいる。 私の叔父だが、母と並ぶ尊敬すべき人である。 午後から、永遠と近くの住宅地を散歩した。給水タンクが設置された小さなお山を目指して歩く。結構急坂だけど、永遠は元気よく歩いている。山頂と言う程ではないが、頂上まで着くと、とても見晴らしがよくて向陽台を一望でき、太陽の光を反射した瀬戸内の海が見渡せる。 「永遠くん、ひなたぼっこして行こうか。」 私のように、まったりくつろぐことが出来ない永遠は、辺りの草を後ろ足で蹴ってみたりウロウロしてみたりと、犬の行動に慣れない私は、戸惑いながらも面白い愉快な時間を過ごしていた。 「永遠、そろそろ帰ろうか。」 実家に戻り、溜まったメールの返信をしたり、洗濯物を畳んだりしていると、母の病院から戻った姉が、着替えを済ませた母の洗濯物を持ち帰り、夕飯の食材を買ってきてくれた。 「お母さん、『ことえちゃん来ないの?』って言ってたよ。」 心配だけど、毎日毎日病院通いは辛くて・・・ 台所に立つ姉に、「ありがとう」とだけ伝えて、父と3人でお鍋の夕食を済ませた。 1日の終わり、満天の星を見ながら夫に、今日の出来事の報告の電話をして就寝した。

時が流れても痛むキズ

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監禁拘束部屋(正式名称は隔離室だが、本人はあえてそう呼んでいる。)に収容された日から今日で2年になる。 3ヶ月の期間、フラッシュバック=心の傷と戦いながら苦しんだ日々が、更に深いPTSD=心的外傷後ストレス障害となってしまった。 当時、自分がまたナースに復職するだなんて思ってもみなかった。 ただ、繰り返される不祥事をどうやったら食い止めることが出来るのか、退院したらどうやって生きていこうかと、そればかりを考えていた。 女性専用のシェアルーム(正式名称は精神科病棟大部屋)で過ごす私は、精神科に入院している患者であった。 同室の患者さまと交わす会話は精神病の話ばかりで、 「何で入院したん?病名なに?」と、よく聞かれた。 この質問に答えられず、なぜ自分が精神科病棟の患者になっているのか不思議でならなかった。 精神病や精神障害などの患者さまと過ごす時間の中で、"自分は患者になろう、患者なんだ"と言い聞かせた。 「夫婦喧嘩をして、家族が心配して入院してるの。病名は、心理テストした結果で解るみたい。」 自分の身の上に起きている事実をこれ以上、他人様に話す事など出来なかった。 入院して5日目 午前中、医療保護入院に同意した夫と、中学校を卒業したばかりの娘が面会に来てくれた。 不自由すぎる入院生活に、必要な品を補充に来ただけの家族を遠目で見ながら、夫と築いた暖かい家族はもうなくなってしまったんだと、生まれてはじめての感情を抱いた。 手帳に描かれた日記の中に当時の思いが残されている。 ページを開きめくる事さえためらっていた自分が、曝露療法でここまで克服出来たのだと、関係者の皆様に感謝している。

1さいになったよ

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 ママがぼくのたんじょうびに ケーキをやいてくれたよ。 ふわふわしたスポンジの1に まっしろなクリームとまっかないちご。 どれからたべようかな。 ママ、ぼく、ひとりでたべれるようになったよ。 うれしくて、おいしくて、えがおになったよ。 ママ、おいわいしてくれてありがとう。