心の治療
リラクゼーションルームで過ごす時間は、身体を横たえることが目的である。
書棚に並んだ書物を読むわけでも、備え付けのTVを見るわけでもない。
持ち込みのデバイス関連の作業や閲覧も後回しとなる。
電子書籍のナレーターの声が、今の私にちょうどよい。
現実と過去と未来とが、行ったり来たりしながら頭の中を巡る。
私はいったい京都でひとり何をしているのだろう?
52歳という大人になった自分は、娘達の巣立ちの日を送り出し、最愛なる人と余暇を楽しむはずだった。
訳あって、東京で家族がバラバラになった。
訳あって、京都で生活することになった。
また、家族みんなで一緒に暮らせるマイホームがあればいいと購入した。
短い期間、家族4人が共に生活することができた。
マイナスとマイナスの磁石が反発して離れて行くかのごとく、家族はくっ付き合うことなく離れ離れになった。
ひとり空想の世界に浸る時間、余暇の時間は最愛なる人と趣味の映画を見たり、旅行に行ったりしている。
私が気ままに作る料理を、文句ひとつ言わずになんでも「美味しい美味しい」って、喜んで食べてくれる様子が回想される。
毎日毎日、こんなはずじゃなかったって悔しく思う。
田舎から京都へ進学して、東京で周りの求める学歴がなくて、周りの人達にバカにされる事も沢山あった。
バカにされない様に努力して努力して、何でもやりますと頑張った結果が、今の自分なのだ。
罵詈雑言が繰り返された日々を思えば、今は平穏なのかも知れない。
家族一緒に団欒ができたらいいなと用意したマイホームは、フラッシュバックの館に化した。
繰り返される家荒らしに苦悩する日々、、、ゴーストの世界ならいいのに、、、。
マイホームはリラクゼーションルームだと語ったのは理想なんだ。
悲しい性、"傷んだ心は湯治場で治療せよ"は、故郷の別府で教わった技なのだろう。
執筆者:坂田琴絵
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