死に対する恐怖

余命宣告された母は、私に何度も死にたくない、生きたいと言った。

そんな母に寄り添い、少しでも平穏な時間を過ごして欲しかった。

数ヶ月の命と宣告され5年間、痛みや苦しみの中生命の維持ができたが、振り返ればそれが母にとって幸福だったのか、辛く考える事もある。

どんなに辛くても生きたいと思う気持ちと、あれやこれやと世話を焼いてもらっていても死にたいと思う気持ちもある。

何がどう違うかは、その人それぞれの価値観や歩いて来た道で違いがあるのだろうけど、最後は本人の望む死を迎えたいものだろう。

「お母さん、のんちゃん安岐小学校に転校させて、しばらく向陽台で生活するから。」

そう言って、介護と子育てと派遣ナースの仕事の生活が始まった。

自立支援課程にある父の見守りも至難の日々で、いっそのこと派遣ナースの仕事が僻地の国東にあればいいのにと何度も何度も思った。

仕事がなければ自分で作ればいい、出来るとも思い、当時書いていたブログにリンクもした。

両親の介護は、他人様の介護よりずっとずっとしんどくて辛くて、辞めたかったし逃げ出したかった。

故郷国東の関係者の方々に支えられて、故郷っていいな、故郷に恩返ししたいなって思っていた。

だから寝る間を割いてでも、地域の子供達へボランティア活動ができたんだろうけど。

そんな両親は他界し、フライトナースをサポートして下さった関係者とも疎遠となってしまった。

子育てや介護は、私の人生のスキルアップで、私の人格を大きく育ててくれている。

人生のゴールってなんだろう…

自分の死についても鑑みる。

嗜好品のワインを堪能する時間は、そんな物思いに耽る時間だが、良き時間とし、夢も儚いのか、新たな道があるのか、一人嬉し楽し今宵となる。

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