悔やまれる思い
途中からでしたが、大変お世話になりました。
また来年も宜しくお願い致します。
そんな年越しのご挨拶を済ませて、しんしんと降り積もる雪の中、家路に着く。
この1年を振り返り、新しく迎える年への抱負、大晦日を家族と過ごす団欒のことなど、心の内は様々ある。
だけど、口にする事とのない心情は、この大晦日の日に、急性心臓病と言う診断で他界した母のこと。
走馬灯の様に駆け巡る記憶は、余命宣告された母に寄り添いたくて、無我夢中で看病・家族の絆・フリーランスの仕事と向き合った時間。
今、思い返せば、家庭が崩壊してしまう程、私は母に全力を投資したのだろうかと、やるせない思いに駆られる。
全く納得のいかない臨終に、向き合う事が今だ出来ない自分がいる。
母が亡くなって、3回忌となる。
神仏習合の発祥地と言われる故郷で、位牌に手を合わせる事すら出来ない。
我が家には、床の間も仏壇も無い。
だけど、心の中には、いつも他界した母がいるから、どこにいても思い出や感謝を忘れる事はない。
末期癌の闘病生活の中で、少し体調が良い時があった。
もしかしたら、急変するかもしれないというリスクもあった。
母が希望して、「琴絵ちゃん、九重にドライブに行きたい。チューリップが見たい。」
不自由になった身体で、何処でもいいから、ドライブに行きたいと言う母の願いを叶えたかった。
「お母さん、泊まりで九重に行こう。くじゅう花公園は花が、いっぱい咲いてるよ。」
ひとりでドライバーして、付き添いナースして、娘として会話して、大変だけど、外出したら母が笑顔になるし、元気になってくれたから嬉しかった。
「お母さん、九重国立公園の紅葉はすごい綺麗よ。秋になったら、また泊まりで行こう。」
余命3ヶ月と宣告され、前向きに治療に励んだ母は、5年間の年月を楽しみや希望を見い出しながら延命した。
我が子を授かってからは、年末年始に家族で帰省して、父や母が喜んでくれる事が嬉しくて、頑張って働いた。
年を重ねる毎に、父も母も私の話しを真剣に聞いてくれた。
両親が他界し、故郷の存在感がぼんやりしている。
何故だか、母の看病で故郷に帰らなければ、家庭崩壊はしなかったのかな…なんて、母の死が悔やまれてならない。
お母さん、今日は雪が降ってとっても寒いよ。
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