母の看病と父の介護が始まった

 当時の携帯電話は、TH171/KYOCERA が重宝していた。あの当時、携帯電話でLINEをするとか、写真を撮るとか想像もしなかった。

何か困った事があれば連絡してください。そう言って私に名刺を渡してくれた。


2014年1月6日

部長さんをお願いします。

ご無沙汰しています。突然ですみません。今、大分の実家に帰省中なんですが、母が腓骨骨折をして入院したんです。整形外科の常勤医はいなくて、オペは週に1回だけなんです。プレートを手配して頂けませんか?オペ日は水曜日なので出来ればそれまでにお願いします。

ネットワークはスピーディーで、母の腓骨骨折のオペは無事に終わった。

オペ後、母は「点滴の針が痛い。足は動かんけど、上から半分は動くから走って帰りたい。」と笑顔で私に話してくれた。

病院を後にした私は、母の入院に必要な物品を求めてホームセンターに立ち寄り、その足でお夕飯の準備にスーパーで買い物をして帰宅した。

「お父さん、お母さんの手術無事に終わったよ。」

自宅で待つ父は、心労からか動悸や不整脈が酷いと訴えていたが、安静にしていて症状も消失した様だった。私の帰宅を待つ傍ら、お夕飯に鰤のお刺身と、りゅうきゅう(大分の郷土料理)を作ってくれていた。

「ことちゃん、永遠(ペットの犬)におやつと餌あげたで〜。今日は早よ寝よ。」と父の声は穏やかだった。

昨日、東京に帰らせた高校3年生と小学4年生の娘達のことが気がかりになり、ゆっくり休めなかった事を覚えている。


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